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「経済学研究における、古典学派の思想体系」
池上・池上惇:
Ⅰ はじめに- 経済学の古典における、A.スミスの思想体系
独立自営農民への共感
スミスの思想体系の中でも、傑出しているのは、彼が、独立自営の農民層、自分の労働によって苦労して富を手にした人々、当時の職人層に対して、大きな、期待を寄せていたこと、それを、経済学の叙述に当たって、常に、中心においてきたことである。かれは、経済学における、分業の意味について、先駆的な解明を行った。
そして、この過程においても、職業選択の自由について、あらゆる人間は、様々な職業を選んでいるが、人間としての潜在的な可能性は、すべての市民が持っており、職業上での差別化については、一貫して、問題としなかった。
例えば、「学者」と、彼のために暖炉を維持する「石炭運搬人」とは、彼らが選んだ職業によって、区別されてはいるが、もともとは、同じ人間であり、選んだ職業によって区別されるだけのことである、という*。
人間の潜在能力についての、対等・平等意識を持ち続けていたのである。このような人間観は、1776年、『国富論』の刊行当時にあっては、思い切った、発言であったと思われる。
*A.スミス著、大河内一男訳『国富論』中央公論社、2020年、第Ⅳ部、教育論の項を参照。この古典を、スミス、マルサス、リカードォ、J.S.ミルなどを基軸として総合的に解明したのは、トーマス・ゾーウェル著・丸山 徹 訳『古典派経済学再考』岩波書店、2024年。原書のタイトルは、Thomas Sowell, “Classical Economics Reconsidered”, Princeton University Press, 1974. Fifth paperback printing with a new preface, 1994.である。御翻訳は、丸山 徹 先生であった。
今回は、A.スミスのもつ、透徹した市民自立の思想を中心として、「古典経済学」と呼ばれた経済学者たちの基本的な特徴を研究する。
その際、「古典経済学」の基本的な特徴を解明された、トーマス・ゾーウェル著・丸山 徹 訳『古典派経済学再考』岩波書店、2024年を手掛かりとしつつ、古典経済学と総称される、各位の個性や、特徴を明らかにする。
市場における公正競争と独占の弊害
トーマス・ゾーウェル著・丸山 徹 訳『古典派経済学再考』岩波書店、2024年において、著者は、独占に対する古典経済学派の総合的な、評価についついて以下のように指摘している。
「古典経済学派は政治的なプロセスではなく、市場のプロセスを通じて経済活動を方向付けることを好んだ。しかしだからといって、彼らが『市場が完全である』と考えていたと想定すべきではない。古典派経済学者は独占の存在を認識していたし、実際、例えば土地の『独占』という用例にも見られるように、『独占』という言葉は極めて広い意味に用いられ、それには多くの形の市場の不完全性、あるいは非弾力的な供給といった事態が含まれる。」*
*トーマス・ゾーウェル著・丸山 徹 訳『古典派経済学再考』岩波書店、2024年、18ページ。
この指摘は、市場に対する政府の介入などの行為が無意味であることを示唆しただけでなく、その有害な結果を予想させる。トーマス・ゾーウェル著が、ここで、参照しているのは、A.スミス、D.リカードォ、J.S.ミルであるが、とりわけ、A.スミスが、独占の存在は、供給不足をもたらすとの指摘を重視した。古典経済学派にとっては、独占の存在は、供給不足をもたらして、高物価を生み出し、市民お生活苦を生み出し、社会を貧困に陥れるものであった。この点は、現在の、「慢性不況下の高物価」状況においても、かなり、有効な研究家kkではないかと考えられる。現代における地価の高騰がインフレを生み出す要因となっている現状を見ると、この点を確認しておくことは、重要な論点となり得る。この事実を確認してのち、今日の主題である、顧客論に移ろう。
(2024年6月24日記Jun Ikegami©)