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総合学術データベース:時評欄(68)ホ-ムペ-ジ用;池上惇「心に柵を立てずに『私有による創造性』と『公共所有による協働労働』を結ぶには」
はじめに-心に柵を立てる、心の柵を超える、とは
「柵(さく)」を立てるという人々の行為は、「自我を通す」「外敵から身を守る」という柵の役割に期待するからである。
また、人々は「心の柵」を設けて、「自我を通して孤立する」「狭い視野に閉じ籠る」などの「狭さ」をもつ。身を守るために設けたはずの柵が孤立の原因となれば、「身を亡ぼす」ことにもつながりかねないのだ。
しかし、同時に、「自分の健康を害するものや身の安全をそこなうものを防ごう」とするために柵を立てることもある。タバコを止めよう。飲酒は節度を守って。博打(ばくち)はやめよう。女性や男性の品格を傷つけるのはやめよう。などなど、「心の柵」は極めて重要である。
同時に、人々は、「心の通う相手」「信頼できる相手」であれば、「ともに、働くこと」「行動を共にすること」を決して拒否しない。むしろ、積極的に「心を開いて」、「ともに、共同で研究する」「ともに、協働しつつ農作業をする」「ともに、カ-シェアリングをして出勤し生活する」。
さらには、「共に協働しつつ、経営する」。
日本社会には、「家族経営」とか、「友人経営」という言葉があって、「家族間の信頼関係」「友人同士の信頼関係」などに注目されることも多い。このような場合には。心がけるべきこととして、信頼関係に乗じた「甘え」や「公正さの欠如」などが指摘されることも多い。ここには、「心の柵」の使い分けが必要となってくる。あるときは、「柵を立てる」があるときは「柵を立てない。あるいは、柵を超える」。ここには、「柵を使い分ける智慧」が働く。
現代のユニコ-ン企業における特徴点から
今、世界のユニコ-ン企業に注目が集まっている。この言葉は、ベンチャーキャピタリストのアイリーン・リーが2013年に発案し、神話的な幻獣のユニコーンを名称に選んでいる。ユニコーンはヤギのあご髭、馬の胴体、牡鹿の頭、象の足、ライオンの尾をもつ。思慮深く、敏速で、頭がよく、力持ちで、威厳がある。創業10年以内、評価額10億ドル(1ドル=110円換算で、1100億円)以上、未上場、テクノロジ-企業(ソフトウエア開発、メディア、通信が多数派)などが念頭に置かれている。これらの企業群は、世界の各地にあるが、アメリカ合衆国におけるタイプと、北欧バルト地域のタイプとでは、大きな違いがある。アメリカ式は世界中から優秀な人材を集めて企業間の生存競争に勝とうとするタイプ。北欧バルト地域のそれは、企業間の公正競争と「協働」を重視するタイプである。日本社会では、日本の国内に、多様な言語や文化を持つ地域があり、北欧バルトの、「小国」の共生との類似性がある。後者の場合、注目されるのは、次のような特徴点である。
第一は、共同研究や研究開発における創造性の相互尊重を基本とし、実験を排除せず、試行錯誤を認め合い、互いに、敬意と信頼関係をもって経営を行うシステムが不可欠となっていることである。このことは、経営者がオ-ケストラの指揮者のように、個々人の演奏や個性的表現を大事し、互いの心や魂が響きあうような「心が開かれた関係」を生み出す。商品やサ-ビスの供給システムは、金銭至上主義的な経営では、応答できず、一人一人の個性を尊重して発揮し、開花できる環境を拓く必要がある。
第二は、共有経済である。個人の資源を共有するという特徴があり、市場においては、需要に応じてオフィス・住宅など、空間、時間の共同利用(個室とルーム・シェアリングの組み合わせなど)、従来の個別商品やサ-ビスの利用ではなく、「個性を生かしあった協働や消費の場づくり」を積極的に行う。「共同消費」「協働」または「オンデマンド経済」とも呼ばれ、もともとは、「個人の資源を共有する」という概念に基づいている。需要に応じて、リソ-スを共有する。このような場では、生産者と消費者の対話が必要であり、販売担当者が企業文化を伝え、消費者から文化を教えられて、新たなものやサ-ビスを創造的に生み出す。この結果、研究開発か製品化、商品化、流通機構の整備、最終消費者との関係性の構築、リサイクルによる資源の再利用など、一貫したシステムを構想して実行する。
第三は、電子商取引である。本来、商業、小売業においては、各地に「場にふさわしい店舗」を持つことが習慣であった。しかし、電子商取引とオンライン市場の革新によって、次第に、「店舗ブランド」が後退するに至った。
第四は、革新的なビジネスモデルの創造であり、先に述べた共有経済をサポ-トするために、ユニコーン企業は「ネットワ-ク・オ-ケストラ人」と呼ばれるオペレ-ティングモデルを構築した。これらの企業は、ビジネス対人販売プラットフォ-ムを持っているので、この直販システムを活用して仕事ができる。すなわち、ネットワ-ク・オ-ケストラ人は、互いに協働を通じて、製品/サ-ビスを販売し、共同作業し、レビュ-を共有し、ビジネスを通じて人間関係を構築できる。
このような、新たなビジネスの台頭は、市場の持つ機能を変革し、倫理的な消費者が登場して、環境問題に応答し得る企業の在り方をも示唆することとならざるを得ない。
消費者は単なる「欲求を充足するための消費行為」ではなく、生産者の創造性や労働条件を改善し得る方向性をも考慮しつつ、創造性を享受し得る力量を持つ。
生産者も、これに応答して、創造性を持った研究開発を行うとともに互いに敬意をもって研究者同士の個性を尊重しあう。応答は誠実で敏速である。知識・感性・意志力・気力をもち、多様な要素を組み立て融合する「システム化」志向をもつ。体験して学習する判断力に優れ、品格を持ち寛容で人格として尊敬されている。
ここには、公正な競争と「ともに創る」土壌がある。
従来、ユニコ-ン企業は、中国やアメリカ合衆国に多く、日本には少ないとされてきた。
しかし、国際的に視野を広げてみると、北欧バルト三国地域におけるユニコ-ン企業の存在が注目されるし、日本との共通性や類似性についても検討する余地がある。
前回の時評欄でも、ご紹介したが、京都の丹後地方特産の「丹後ちりめん」、また、京都フォ-ラムにおける、経営実践の交流体験など、日本各地の中小零細企業における文化的な伝統には、世界に飛躍し得る潜在能力がある。
塩野誠(株)経営共創基盤代表取締役によれば、「『北欧バルト』が今、イノベーションにおける先進地域として注目されている。シリコンバレ-、イスラエル、あるいは中国の深圳市やロンドンのテックシティなどと並び、最先端のデジタル“ユニコ-ン”が次々に生まれつつある、いわばホットスポット」である*。
*塩野誠(株)経営共創基盤代表取締役「デジタル・イノベ-ションへ、御術以上に必要なもの-”幸福度“先進地域の北欧に学ぶ-」(脇坂敦史=取材・執筆、増田智泰=撮影)大阪ガス(株)エネルギ-・文化研究所『CEL=Culture, Energy & Life』Vol.129(2021年11月)14ペ-ジ以下参照。
この地域の国々は、いわば、「小国」であり、最大でも。人口一千万人以下。多数が100万人規模である。塩野氏は日本との人口規模の違いを指摘されているが、もしも、日本を、各々の地域ごとに独自の文化や言語をもつ、世界に稀な国としてみれば、「小国の連合体」であるのかもしれない。
気象や地形の状況が違い、災害の度合いも違う「小国の連合体」として日本社会をみれば、その強みは、生きるために「文化的な伝統の違いから学びあって“より高い生活の質”を生み出す力量」を育て得ることである。この点に注目すれば、日本には、100年企業が多く、職人型企業としての伝統文化を持ち、世界的に見ても、「長寿企業」を生み出してきた、という事実も納得できる。もしも、各々の地域の企業が明治維新以前には、そうであったように、お伊勢参りの機会に経験を交流して学びあい、育ちあうなどの文化的な伝統を活かし合うならば、日本社会も、共創型ユニコ-ンを生み出す、豊かな土壌を持っているというべきであろう。日本社会は、柳田国男ら、民俗学者たちの助言を無視して、「脱亜入欧」を国是とし、明維新以来、大国主義をモデルとして暴走を繰り返してきた、
第二次世界大戦後、漸く、民俗学者たちの主張は、各地で受容され始めたが、中央集権型システムの残存には、今なお、苦しめられている。
もしも、日本人が「忘れられた日本人」を取り戻そうとしたならば、どのような変化が起こるであろうか。
おそらく、このような共創型ユニコーンを生み出す「豊かな土壌」は、デジタル技術を生かしつつも、それを生かす学習の力量を個々人や地域社会にもたらすことによって、高い協働の生産性を永続させ、高い生産性によって、労働時間を短縮し、各自の自由時間を生み出し、創意工夫してイノベ-ションを生み出す原動力を創り出すのではないか。
そして、個々人が地域の文化的伝統を継承しつつ、心が通じ合う信頼関係を構築すれば、「心の柵」を超えて、人々の心や魂が響きあい、共鳴することを通じて、それぞれの場に、ハ-モニ-を生み出す可能性が高い。
私有による創造性と公共の場における協働・共創活動の総合化
従来の学説では、「私有制度から社会的所有制度への移行」というテーマが資本主義と社会主義を分かつ分水嶺のように普及されてきた。
しかし、社会的な所有が、国有化という形を取った時には、官僚機構が強大化し、市民、個々人の自発性や創意性、さらには、創造性が失われる危険があること。
この事実が深刻な問題として、提起されてきた。
それに応答して、中国の社会主義は、私有制を認め、それが、個々人の創造性を生み出すこと、これを基礎に、経営における営業の自由を是認すれば、一党独裁と批判されつつも、世界的な発明や発見につながり、国際競争力においても、先行した、アメリカ合衆国を追い越すばかりの勢いを得たのである。
この成果を基礎として「共同富裕論」が台頭し、高額所得者への課税や公共的な視点からの規制を加え、寄付活動、その他、民間の公共性を進展させれば、公正な競争を伴う、理想社会が近づいてくるとの主張も行われてきた。
これに並行して、アメリカ合衆国の側からは、個々人の人権尊重や近代的な議会制度を要望する圧力も強まっている。
両者の意見は対立・分裂してしまう。
では、日本社会の形成史の中で、アメリカでもない、中国でもない、第三の道はないのか。
今回、時評欄で論じたことは、私有による創造性と公共の場における協働や共創活動の総合化に関係することであった。
このことは、究極的には、個人を主体とした徹底した分権社会を追求しつつ、私人が同時に公共人としての見識や人格をもって、自分たちの私有財産を公共財産としても位置付けることを意味している。
いわば、自分のものである、知・情・意・気における個々人の経験を互いに生かしあって協働しつつ、公共的な生活をして仕事をする。
個々人が開発した創造的な成果や、開拓者としての経験を、個々人が提供しあい、ここから、互いに学びあい育ちあって社会を構成する。
日本人は、厳しい自然の中で、鍛えられ、度重なる戦乱の中で、中央集権志向の支配を受け、世界に稀な、各々の地域ごとに異なる、地域の世々代々伝統文化や、それを翻訳して他地域・他世代を理解する術(すべ)を構築してきた。
とりわけ、地区や学区における自治の習慣や伝統は、個々人を尊重する基盤となり、さらに、個性の成果を美的にハーモニーさせる経営人を生み出す。
幕末期に、二宮尊徳によって開発された、地域再生の方法は、個人の自立の基礎となる中農層を育て、農林漁業や商業における自由で、公正な営業の基盤を「大商人が私有財産を差し出して」構築し、減税や融資で支援して、「私人が自分自身を取り戻す」試みを推進した。そして、地域再生が完了すれば、公共財産として差し出したものを各自の私有されたものに戻し、次の未再生地域に差し出す。
同様の試みは、時期は後になるが、イギリス人、ラスキンらの産業実験、コーリン・クラークによる、減税政策と「私人が自分自身を取り戻す」提案となって、歴史に名を残している。
このような人類史の経験を現代に生かすとすれば、それは、どのような姿を取って現れるのであろうか。
今日は、この課題を考えてみたい。
(©2021、Jun、Ikegami)