文化政策・まちづくり大学

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総合学術データベース:時評欄(59);池上惇「渋沢栄一『論語と算盤』をめぐって」

NHK大河ドラマにおける渋沢栄一

いま、日曜日の夜は、渋沢栄一の話題で、各ご家庭とも盛り上がっている。

何しろ、農民と商人という、身分制度、士農工商秩序が現存した時代に、渋沢栄一は、この支配に逆らって、「革命」を実行しようとしている。

驚くのは、異人が住む横浜に放火しようという企てが登場するのである。明治維新と言えば、下級武士の反乱という話ではないかと思ってこられた各位には、「これはすごい。本物の革命家、ご登場だ」と受け取られた向きもあったのではないだろうか。

幕末期の農民が剣術を習って、武士とともに、行動し、新選組として幕府の立場になり尊王攘夷派の武士を取り締まる話には現代日本市民は慣れてはいる。また、長州の騎兵隊に農民や商人が参加したことは、知られているが、いずれも、武士の主導する反乱での話であった。

当時、澁澤栄一は、攘夷の無謀さを知り、一ツ橋慶喜の家臣となってゆく。

それ以後のことは、これからのお楽しみである。

二宮尊徳と孔子の違いについて

私は明治維新における二宮尊徳の「仕法=中農を育て、経済格差を縮小して、地域社会に公正競争秩序を生み出す信託基金構想」の取り扱いについて、非常に強く関心を寄せている。

なぜかというと、この「仕法」を、維新政府は、どう扱うかというときに、澁澤の取った態度に、明治維新の本質がよく表れていると思うからである。

明治の新政府は「仕法」を全廃した。端的に言うと重税策に踏み切ったからであった。尊徳が育てた中農を、もう一度、小作人に戻す強硬策であった。

反対したのは、西郷隆盛だけである。

渋沢栄一は、動揺しながらも、形式的には反対する。しかし、当時の大蔵関係者に同調して、仕法全廃を黙認している。つまり、尊徳仕法を正面から擁護せずに、尊徳の仕法を実践することはなかった。また、尊徳の「道徳と経済」に関する一貫した思想を中心として経済界を啓蒙することもしなかった。そのかわりに、登場したのが「孔子」である。

「孔子」の儒学は、徳治政治と言って、政治家にとっては、重要な道徳や倫理を説いてはいるが、「経営を担うもの」を対象にして、道徳と経済の関係を論じているわけではない。

経済人を対象として、道徳と経済の関係を明快に論じているのは、尊徳思想の特徴である。

なぜ、渋沢栄一は、尊徳仕法を熟知していながら、それを選ばずに、孔子を選んだのか。

今日は、このテーマに挑戦してみたい。(Ikegami,Jun©2021)

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