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池上・総合学術データベース:時評欄(52)ホ-ムペ-ジ用;「地域経営を研究するには-必要なキ-ワ-ド No.1 地域固有の伝統文化」
地域研究の焦点は何か
-地域の「弱いところ」「小さいところ」「遠いところ」から変化の兆しを発見する-
わたくしは、学生時代から若い助手・助教授時代にかけて地域調査に関心をもってきた。教授になってしまうと、大学管理業務や学生団体との交渉などで、地域調査に充てる時間が少なくなる。何とか、それまでにはと、これまで、多くの地域から学習を続けてきた。
中心は日本の各地である。青春切符などという格安の運賃で、大概は、普通便を利用しながら、長距離・長時間の旅である。小学校の宿直室などにも、よく、泊めていただいた。
国際的には、自然科学者であり、各地の風土や地理にも詳しい妻に導かれて夏季休暇を活用し、世界各地の「文化的な伝統のある地域・都市・徒歩で歩けそうな山岳地帯」を毎年のように訪問してきた。いずれも、貧乏旅行であるから、国際線も、当時、最安値であった「キャセイ航空」(いつ落ちるかわからないぞ、などと友人からからかわれながら、しかし、今も生きている)で、乗り継ぎの長時間をじっと我慢して乗り切ってきた。宿舎も、予約なしの飛込である。片言の英語で、今から思うとよく通用したと思うが、貧乏でも何とかしないと、と、必死の想いであったからできたのであろう。
このような経験から、地域の研究にとって、まず、注目すべきものは何ですか、と、問われれば、次のように答えることができる。
まずは、地域の「弱いところ」「小さいところ」「遠いところ」に注目することである。
これは、わたくしの地域調査の原点であるが、2003年ごろに、清水義晴著『変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから』太郎次郎社、に出会ってから、なお、確信をもって主張するようになった。
また、最近では、冨澤公子著『長生きがしあわせな島<奄美>DVD付き』かもがわ出版、2020年を拝読して、なお、一層、確信を深めている。
わたくしは、いま、東日本大震災の被災地を研究対象にしており、人口5千人規模の、小さな町、岩手県気仙郡住田町に焦点を合わせている。「遠くて、小さくて、しかし、弱そうに見えて実は強いところ」であった。
今月中には、京大学術出版会から、『学習社会の創造』と題して出版されるので、詳細は、この書物に譲りたいが、この書の表紙は、「ふるさと創生大学」の学舎と、案内板の前で、地元の学習人たちが寄り合う姿が用いられている。
このような「地元の方々の顔が見える」ことは、地域調査の原点である。
そこには、互いの信頼関係があって、調査する人と、地元の方々との「学習人」としての共通性がある。地域調査は「地元のことを知る」ところから始まるのであるが、「地元のことを知っている人々」と出会わなければ、何もわからない。
よく、調査の専門家が、いきなり、アンケート用紙を配布して、集計しようとすることがある。行政から委託された調査などでは、よくあることであるが、これでは、正確な実態を知ることは難しい。信頼関係のないところに、真実の発見はないからである。
開拓者精神をもって実行している方と出会う
地域調査において、決定的なことと思えるのは、一つは、この地域を拓いた、開拓者精神を持つ人物を発見して、その人物と、地域の人々や、訪問者との関係を研究することである。わたくしは運よく、いま、東北では、出会うことができた。
しかし、大半の地域では、非常に難しい。
その意味では、これは非常に難しいことではあるが、このような人物がいない場合には、自分が、開拓者精神をもって、地域を拓くとすれば、どのように行動するであろうかを想像しながら、自分の可能性や、地域の発展可能性を研究してみるとよい、と思う。
そして、もう一つは、地域の発展可能性を、どのような視点から研究するかという問題がある。この点は、多くの人々が関心を持っているが、実際には研究されていないことが多い。この点を具体的に検討してみよう。
地域は宝の山か
「地域は宝の山ですよ」とは、産地の職人ネットワークを世に出して世界に通用するデザインを生み出された、越智和子先生のお言葉である。
二宮尊徳も、同じようなことを言っていて、彼の有名な言葉に、「神仏儒正味一丸薬」というものがある。例えば、神は開拓者精神のシンボルであって、儒学は国を治める精神を説き、仏教は、心の平安を目指す。それぞれに良いところも、短所もあるので、「正味」だけとって活用すればよい、というのである*。
*福住正兄原著・佐々木典比古訳注『訳中二宮翁夜話』(上)現代報徳全書8、一円融合会、尊徳文庫、35-37ページ。(上)における「[三六]神仏儒正味一丸薬」の項を参照)
とりわけ、開拓者精神は地域の再生・発展にとって非常に重要であると指摘し、次のように述べている。
「さてこの地(小田原藩桜町-引用者)に来て、いかにしようかと熟考するに、わが国開闢の昔は、外国より資本を借りて開いたのではない、わが国はわが国の恩恵で開いたに相違ないことに気がついてから、本藩(小田原藩)の下付金を謝絶し、近郷の財産家に借金を頼まず、この四千石の地の外は海外と見なし、自分が神代の昔に豊葦原へ天から降りたったと決心をし、・・・・天照大神の足跡だと思い定めて、一途に開闢元始の大道によって努力したのである。開闢の昔、豊葦原に一人天から降り立ったと覚悟するときは、流水に潔(みそ)身(ぎ)をしたように、潔いこと限りがない。何事をするにも、この覚悟をきめれば、依頼心もなく、卑怯・卑劣の心もなく、何を見ても羨ましいことなく、心の中が清浄であるから、願うことは成就しないことがなくなるのだ。この覚悟が事をなす根本であり、私の悟道の極意である。この覚悟が定まれば、衰村を起こすのも、廃家を復興するのも、いとやすいことだ。ただこの覚悟一つだ。」*
*福住正兄原著・佐々木典比古訳注『訳中二宮翁夜話』(下)現代報徳全書8、一円融合会、尊徳文庫、30-31ページ。
このような覚悟のうえで、実際に構想しているのは、次のようなことであった。
「荒れ地が多くて悩むものが『神仏儒正味一丸薬』を服用すれば、開拓ができるし、借金が多くて悩むものが服用すれば返済ができる。資本がないという患者が服用すれば、資本が得られ、家がないという患者が服用すれば家屋が得られ、農具がないという患者が服用すれば農具が得られる。」と*。
*福住正兄原著・佐々木典比古訳注『訳中二宮翁夜話』(上)現代報徳全書8、一円融合会、尊徳文庫、36ページ。
ここで、尊徳が、開拓などにあたって、暗黙の前提としているのは、自分の私有財産を地域経営のための信託財産として差し出すこと。具体的には、後に尊徳仕法としてシステム化しているが、彼が差しす土台金、地域の有志の拠出金、庶民の縄ないなどの生産物を尊徳が買い上げて彼らの稼ぎを生み出し、そこからでてくる出資金などであり、一種の、地域信託基金である。さらに、彼自身が身体化している「経営ノウハウ」があってこそ「地域の宝の山」が生きてくる。信託基金と卓越した経営ノウハウ。これらがあればこその開拓者精神による荒れ地の開発がある。
彼は、宝の山である「地域コミュニティ」の潜在資源を、彼が主導して形成する地域信託金や彼の経営ノウハウによって、顕在化させるのである。
越智先生が「宝の山」といわれる各地の潜在資源も、越智先生のデザイン力や、経営ノウハウ、各地百貨店の職人支援能力なしには生きてこない。
さらに言うとすれば、儒学がもたらす倫理的な秩序、例えば、「仁」という思想がないと、法秩序の下での相手の立場を重んじる「譲り合い」の精神は生まれないし、仏教がもたらす「心の平安」がないと、「結=ゆい」に象徴される「困ったときはお互い様」「信頼しあう、心の‘つながり’」は生まれない。
神仏儒一丸薬とは、よくぞ、言ったものである。
このような意味では、地域調査人は、「この地域をよくしよう」という心をもって、さまざまな力量のある方々を出合わせ、出会う場を生み出す必要がある。自分に財産がなければ、財産のある人に参加してもらえばよい。経営ノウハウがないならば、ある人に参加してもらえばよい。わたくしなど、ないないずくしの人間であったが、開拓者の周りには、多くの場合、多様な人々が集まっていることが多いので、決して、心配する必要はないと思う。自分が開拓者の「つもり」になったときには、不思議に、誠意ある人々が集まってくるのである。必要なのは、地域をよくしようという誠意ではないかと思う。
また、「小さいところ」とは、集落や学区のような、自治の現場=満場一致ルールのあるところであることも多い。冨澤先生は、奄美の「シマ=集落」に注目されて、大きな成果をあげられた。これも、心がけるべきことかも知れない。
(Ikegami, Jun ©2020)