文化政策・まちづくり大学

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池上・総合学術データベース:時評欄(23);「システム・エンジニアと文化媒介型商人」2019年11月10日

消費活動の二極化

今から、数年前のこと、友人からお便りをいただいた。

私が、最近、ケイブズの創造産業論の研究に打ち込んでいて、その中で、見出したことを、あちこちで、ご説明している間に、ご興味を持っていただいたのである。

このような機会は本当に貴重である。

貴重なコメントは、「少し感想を書かせていただきます」からはじまっていた。

まず、私が主張してきたこととは、何か、というところから、ご説明しよう。

池上「私は、いま、時代が、あらゆる財に、優れたデザインや品質が要請される、‘生活の芸術化’時代に突入している、と考えています。そして、このデザインという言葉には、農産物のように、「自然が人間とともに生み出した」色・かたち・香りなど、人間の五感で知ることのできる多様な要素が含まれていると考えております。農産物では、人間が直接にかたちなどをデザインすることは難しいのですが、植物を育成する過程では、土壌を改良し、種子を改善するなどの間接的な営みを通じて、農産物の形や色などに影響を与えることができます。

同様に、工業製品においても、デザインは、自然の素材を生かして人間が道具や機械を利用して加工する中で、「自然と人間がともに生み出す」のです。「ものづくり」とはいうものの、人間が勝手にモノを作ることはできません。自然の素材があってこその「ものづくり」なのですね。

この意味では、現代社会では、自然と人間が協力し合って、あらゆる財・サービスのなかに芸術的デザインや文化性を入り込ませる。対人サービスにおいては、人間自体が自然の一部として、人間行動を通じて、動作で形をつくり、表情で色彩を示し、声などで、心、熱意などを表現します。さらには、学習によって、習慣的な行動を再現し、創造的な活動を表現することも出来る。

このように見てきますと、農業を基軸とする一次産業、製造業を中心とする二次産業、サービス業を第三次産業とすれば、デザインは、すべての産業を網羅する、大産業の基本的な特徴となったのです。

そして、それらを自然と共生しながら、創造する人びと(芸術家・職人・技術者・学術人など)と、成果を享受する人々のコミュニケーションが生まれ、双方向のコミュニケーションを通じた、互いの学習によって、人々は人格的・芸術的・学術的に高めあう関係を生み出すことができます。

その一方で、仕事と生活における「二極化」が進み、植物工場で生産されたものの中でも生気のない野菜が市場に出回り、繊維製品や消費財にも味気ない画一的なデザインが登場しました。低価格・量産型で、健康にとっても、マイナスかもしれないような食品なども、貧困や格差が拡大する中で、ス-パ-やコンビニの売り場で散見されます。

人をがっかりさせる、味気ないサービスも登場してきます。

そこで、現代社会では、所得や資産、文化・デザインにおける格差拡大から、縮小への方向を見出してゆくことも重要な課題となっています。

このような格差問題は、後日、改めて検討することとし、今日は、‘生活の芸術化’に向けての動向を中心として検討することにいたします。

この「生活の芸術化」過程で、商品やサービスが絶えず創意工夫によって改良され、商品の寿命が延びて、企業や家族の経営が安定し、税収が落ち着いて、文化的価値と金銭的価値が共に高まってゆく時代となるだろうか。

それとも、全く、反対に、企業間の生存競争がますます激化し、企業統合や、大規模化が進んで、社会は、貧富の格差によって分断され、憎しみと殺戮の時代となるのか。

私たちは、その岐路に立っているのではないか。

19世紀後半に、モリス商会が実践し、ユートピアだよりが描き出した世界は、前者の方向性を切り拓きました。そこでは、経営者であり、親方でもあるモリス、その人が、一方では、職人を指導しつつ、他方では、勤労者の住居を中心に、インテリア・デザインを考案し、壁紙や、カーテン地、調度品、装飾品などの素材を選び、デザインを考案して、「生活の芸術化」を担う商品の市場を開発しました。
職人が生み出す創造の成果を、顧客などの享受の能力によって両者の人生に活かしあうには、創造の意味を享受者の生活に即して理解しうる形で翻訳できる仲介者=商人が必要なのです。経営者が、一方では、職人をまとめ上げて仕事をすすめながら、他方では、商人として、消費者のニ-ズを把握し、両者を媒介する役割を果たしています。

モリスの時代には、職人仕事を消費者とつなぐ工芸事業が「生活の芸術化」を推進する基軸でした。そして、経営者が生産者と消費者を媒介する文化-双方の状況を理解し翻訳して、二つの世界が交流しつつ、学びあい、育ちあう関係を構築していました。

現代では、工芸事業だけでなく、書籍雑誌の出版、視覚芸術(絵画・彫刻)、実演芸術(劇場、オペラ、コンサート、ダンス)、音響録音、映画、テレビ・フィルム、ファッション、玩具、ゲームなどが産業として発展し(R. E. Caves, Creative Industries, Contracts between Art and Commerce, Harvard U. P., 2000)、「生活の芸術化」を推進しています。

ケイブズは、これらの産業を「創造産業」と呼び、これらの産業は、工芸と同様に、職人による生産を特徴としつつも、同時に、商業との関係を通じて、消費者の世界を知ってこそ、はじめて、発展しうることを明らかにしました。また、職人らの所得も、本業よりも、商業的なものに依存する度合いが高まっていると述べています。ある意味では、商業の復権ともいうべき事態が生まれているのです。

今日は、モリス以来の工芸産業と、ケイブズのいう創造産業としての職人型産業が、商業との関係を持つことによって、どのように発展してきたのか。そのなかで、生産者と消費者との間におけるコミュニケーションと、「学びあい育ちあい」の関係は、どのように展開されてきたのか。

この問題は、現代経営学の課題としても、重要性が高くなっていますし、企業組織の壁を越えて個々人が交流して学習しあい、そこに、オープン・イノベーションなどの場を創る状況とも関係しています。その意味では、企業組織が個々人の潜在能力を開発して、研究の力量を育て上げ、社員が身につけた文化資本とすること。個々人が企業の壁を越えて世界的な規模で交流し、互いの文化の違いを翻訳しあい、学びあって、イノベーションを起こしてゆくこと。企業は、個々人の創造した成果を知的な所有権を持つものとして評価し、成果を相応の貨幣額で評価して、社員の待遇を改善してゆくこと。

このような動きとも関係しています。

その意味では、現代の経営学における研究教育の内容としても、深い考察が必要な領域となってきました。

モリス以来の工芸産業と、ケイブズのいう創造産業としての職人型産業が、商業との関係を持つことによって、どのように発展してきたのか。そのなかで、生産者と消費者との間におけるコミュニケーションと、「学びあい育ちあい」の関係は、どのように展開されてきたのか。今日は、この問題を考えることにしましょう。(Ikegami, Jun ©2019)

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