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時評欄(9)池上惇「納税者主権から見た、寄付・協賛・出資による民間公共施設・ふるさと学校づくり―尊徳から学ぶ」2019年4月14日)
文化政策・まちづくり大学院を創設するために
―先導試行のための、寄付・協賛・出資活動の推進―
私は、ここ10年余の間、文化政策・まちづくり大学院を創設しようと、そのための、入学者確保の方策を地道に積み上げてきた。
2008年ごろには、この道に不慣れなために、大学院大学の設立準備委員会を立ち上げて資金をご寄付で集めさえすれば、学校認可が下りるものと期待していた。
しかし、実際に、実行してみると、学校づくりには、入学者の確保が不可欠であるが、多くの私学では、定員割れがおこり、入学者が確保されていないことが判明した。
いわば、入学者確保のための、先導試行として、理想の目標を掲げた学校づくりを行うこと。それによって、大学院大学設立後の入学者希望者に、深いご理解を頂き、認可されたならば、多くの入学希望者が待ち受けるような状況を作り出す必要があったのである。
今回の大学院づくりは、通信制であったから、出発点で700人規模の学校を生み出す必要があり、それにふさわしい入学希望者を確保しなければならないのである。
これは、大変な事業であるが、今の、農村地域における人口減少の厳しさを考えれば、農村に、先導試行として、一般社団法人などの経営形態で、大学や大学院を創り、文化経済学、文化経営学、文化政策を通信制で教育すること。それによって、地元でも大都市並みの教育が受けられることを実証すること。現在の「都市から農村への人の流れ」を活用し、同時に、地元のベテラン・達人に学位相当の論文を改定いただき、教師として活躍していただけるようにすること。この動きを、「事業継承」と結合して「継承と創造」の動きを農村で産む出すこと。
これらは、前人未到の世界ではあるが、大震災の被災地などでは、最も、強く望まれていることでもあった。
京都に市民大学院=文化政策・まちづくり大学校(一般社団)=京都ふるさと創生大学=岩手気仙郡住田町を創設する
ここで、まず、京都で、通学制の「市民大学院」をつくり、実際に講義や演習や研究活動を行ってみて、それから、東北など、大震災の被災地に、もう一つの拠点をつくろうと、決意した。
当初から、設立準備委員会では、先導試行の必要性は、共通認識であったから、当初は、現地見学会を中心とした、地域研究方法を考え、文化経済学、文化経営学、文化政策を基軸とした教育研究を行う。講義、演習、対面教育研究(教師と社会人学生の1対1の場づくり)など、従来にはない、新たなシステムを採用した。平均して、30名内外の参加を得て、学位論文相当の執筆者も登場し、国際文化政策研究教育学会を発足させ、学会誌に論文を公表していただいた。とりわけ、経営者層が熱心に学習され、市民大学院で印刷機をリースして論文や書籍の発行が日常的にできるようになった。
並行して、大震災が起こってからは、被災地の農村地域に、先導試行の学校をつくろうと模索を続けた。地元の篤志家が学舎や自習の場、山林などを低い賃料で提供していただき、二千万円を超える資金を投じ、被災地のボランティア・センター近くに、古民家を改修して気仙大工の博物館、幼児から小中高、大学、大学院、生涯学習用図書館、通信教育センターを構築した。
先導試行にとって、まず、必要なのは、農村部に通信制教育の拠点をおくための、学舎建設である。そのための費用は、蓄積してきた、設立準備資金から、先導事業資金として、支出する。事前に調査を重ねて被災地に足を運び、交通費・宿泊費を支出する。当初は、池上が震災復興ボランティアとして私費で実行したが、次第に、本来の姿に戻して、調査費用を計上することにした。
「寄付・協賛・出資」から、「仕事おこし」、「文化資本の経営」、「学習による理解・共感する市民の創造」へ。
各地における、「ふるさと創生大学づくり」は、募金・協賛・出資から始まる。
2008年に、設立準備委員会を立ち上げてから、約10年間、約500人様からのご寄付によって、1憶1千万円を集めることができた。
近頃の大手会社社長には年収1憶円も稀ではないそうであるが、10年で1憶円は、あまりにも、少ない金額である。しかし、今の、農村にとっては、二千万円以上の資金が動員されて、学舎ができるというのは、大変なことで、学校づくりともなれば、先導試行とはいえ、その文化的、経済的な効果は測り知れない。
これだけのお金が集まった理由は何であろうか。
それは、設立準備委員会にお集まりいただいた方々の、学術研究・芸術研究・経営研究における、質と格の高さのおかげであった。
この方々ならば、大学院づくりを信頼して任せられる、地域再生も可能であろう、という、敬意ともいえるお気持ちが、資金集めを可能にしたのである。
そして、多くの社会人に、準備委員会のメンバ-から発信される格の高い情報に触れておれば、一人一人が、学術人として、成長してゆけるという共感を呼んだのではないだろうか。
学位論文を完成される方々が増加すること
例えば、ある方が、対面研究から、学位論文ご執筆の意欲を高められて完成されたとする。すると、京都の市民大学院では、高いリース料を支払って、製本印刷機を活用した、製本、出版ができる。
それから、奥付の記載事項には、(非売品)とあり、この方が、評価や価値が上がり、ご寄付などが頂ける可能性が高い。もちろん、製本はご寄付を頂くためではないが、多くの関係者にとっては、高い文化的価値を生み出すならば、準備活動や市民大学院井寄附をしようかというお気持ちが生まれる可能性があるのである。
また、表紙のデザインは工夫し、現場写真もいれることができる。担当者がデザインに関心をもって、場数を踏んでゆけば、そして、成果が蓄積されてゆけば、よいものになってゆく。
私の『学習社会の創造』も500部以上印刷し、需要が多く、追加を200部お願いしている現状である。同封であった、『ふるさと通信』も需要が多い。
費用負担は、通信や学習社会の創造は、無料でお送りして、ご寄付やご協賛をいただく契機としていただく。その意味では、通信や学習社会の創造は、募金・協賛のための必要経費であるので、ご寄付やご協賛の中から支払う。今後、募金のための出版物については、この考え方を採用する方針である。
各位の学術的・芸術的作品も、「募金・協賛」を意識したものとなってゆくかもしれない。このことは、ある種の「理解者の創造」活動である。送られてきた書物や通信を見て共感してくださる方が増える可能性が高いからである。
学術的な労作の場合も、できれば、「読者・募金者・協賛者」などの立場に立って、よいものを生み出す習慣を身につけたい。この点では、住田の方々から学ぶことが多く、各位は、「学術的成果を芸術的に表現する」習慣がある。例えば、日本の地域コミュニティにおける自己・個性・生き方(道)の確立と、自立した者同士や弱者を含む相互支援システムのバランスを論じるとき、佐藤霊峰の詩で表現しようとされた。
佐藤霊峰の詩・若には、「自分がここにあるのは、父母、ふるさとの自然や社会があるからであり、自分が発見した道は細くて果て無い道であるが、一人で覚悟を決めて静かに歩いてゆく。」という決意が込められていた。
これでこそ、学術人の創造活動と、それを受け入れる次世代など、市民の享受能力が育つ場ではないだろうか。
今日は、総合学術データベースで、二宮尊徳の「寄付・協賛・出資」の考え方を通じて、この問題を考えてみたい(池上惇・©Jun Ikegami 2019)。
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