文化政策・まちづくり大学

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総合学術デ-タベ-ス:個人別研究内容(13)高原一隆 先生;常識を超える真実の発見-北洋漁業基地から北海道経済の総合研究へ- :内容紹介;池上惇

足元を掘る研究こそ大事では

高原一隆先生は、私が若いころに、非常勤の講師を依頼されたとき、お目にかかった。再度、お話をする機会を得たのは、先生から文化政策・まちづくり大学院大学設立のために寄付をしたいとのお申し出があってからである。高額のご寄付をいただいて恐縮していると、池上が東北でふるさと創生大学づくりに励んでいるとの情報を得られて、必要ならお手伝いしますよ、と、ご連絡をいただいた。

私にとっては、天にも昇る気持ちで、「ぜひ」とお願いしたが、コロナ禍で、直接の訪問が難しく、ふるさと創生大学の「総合学術デ-タベ-ス」を生かした通信制の学習・研究システムで、お世話になることとなった。心より感謝しております。

先生のご研究については、先生と同じく、私も、「地域」という研究対象に、興味を持ち続けてきたので、ご業績のなかでも、北海道と沖縄に関するものは、学習させていただいた。とりわけ、驚いたのは、沖縄の米軍基地に関するご研究で、「基地内の環境汚染」を取り上げておられたことである。基地の有害な影響については、騒音をはじめ、多くの研究があるが、基地内の環境汚染という深刻な問題が研究されたのは画期的なことであった。

先生の研究スタイルには、二つの特徴があるように思う。

一つは、天下国家を論じるのもよいが、地道に「足元を掘ること」「そこに、泉がわく」という研究姿勢である。足元から湧いた泉はやがてセセラギから小川になり、大きな川となって、農村や都市を潤し、海にそそぐ。水蒸気となって、雲になり、雨になり、大地に戻ってくる。

天下国家は海のようなもので、大きいけれども、いきなり、全体を理解するのは難しい。地域という足元から地道に研究を積み上げて、次第に海に近づくほうがかえって近道かもしれない。もちろんであるが、足元から研究するといっても、天下国家から無関心でいるわけではなく、毎日の新聞を読み、必要な切り抜きを作成して蓄積するなどして、「天下国家情報」を系統的に頭に入れることは欠かせない。ただ、こうするからといって、直ちに、天下国家を研究するのではない。学習はするが、すぐに、研究結果としてまとめることはしない。いわば、足元研究のための、バックグラウンドづくりである。

私自身は、「足元を掘れ」という研究スタイルをお二人の先覚からお教えいただいた。お一人は、豊崎稔先生である。先生は、足元とは、現場である、と常に言われていた。現場には、地域の現場と、産業の現場がある。どちらにも、目配りを怠るな。これが先生の教えであった。

もう一人は、名著『近世租税思想史』を書かれた島恭彦先生である。

先生は、思想史という大きなテーマへの挑戦と、もう一つ、地域という足元の「二本足」でゆけ。というご主張であった。

先生によれば、人間の思考は、理論的な研究を深めると、幾人もの思想家の「ものの考え方」を理解できて、これが、現代的な課題の解決に役立つとされる。古典といわれるものは、常に、現代的な課題にこたえてくれるものであるから、大事にしなさい。

また、研究の素材としては、だれもが研究対象とするので、議論しやすいし、アイディアをだしあう機会も多い。研究論文としても、まとめやすい、と言われた。

そして、本格的な研究は「地域」でゆきなさい、新たな発見が多く、だれも歩いたことのない道を始めて歩くような、魅力があると話された。先生ご自身が「現代地方財政論」という、当時としては、「足元」そのもののような研究成果を上げておられたので、極めて説得力があった。

さて、ここで、本筋に戻ると、高原先生のご研究は、まさに、「足元」を掘るご研究であった。先生ご自身の表現では、「私が大学院に進学して研究しようと思った動機は「高度成長のひずみ」からでした。日本経済は1970年代に高度成長を達成しましたが、一方ではさらなる成長を進めて「欧米に追いつけ,追い越せ」を実現する政策(全国総合開発計画)が進められていました。他方、すでに1960年代半ばからそれに伴って公害問題に代表される「ひずみ」が生まれていましたが、私は特に、都市問題(過密問題)や過疎問題など地域に生じた問題に関心を持っていました。そして、「ひずみ」の解決こそが経済学の課題だと感じていました。まだ理論的・文献的な読み込みは十分でなくても、研究へのこの最初の感覚的・情念的な問題意識は研究への契機としては大変大事なことです。」と、回想されている。

当時、流行の風潮としては、経済の問題は天下国家に関わる問題で、地域問題なんて小さなことは、それだけを深めようとしても、不可能である。結局は、国家レベルの解決によるものだ、という考え方が強かった。端的に言うと、地域経済学は経済学における学問対象とは余り考えられていなかったのである。

北洋漁業の基地から北海道の総合研究まで

ところが、実際に研究に着手されると、現実の、多くの事業者や自治体関係者からの要請として、「地域経済の実態を調べてほしい」との要望が相次いだ。

高原先生が取り組まれた、第一の研究テーマは、「北洋漁業の分析」、とりわけ、北海道、最東端に位置する根室市の経済分析であった。根室市のある団体から、「北洋漁業という経済基盤で生きてきた都市であるが、200カイリ制そして様々な漁業規制が深まり、将来の根室市の漁業が見通せない、そのための地域経済的分析をして欲しいという依頼があり、引き受けた」のである。北海道大学水産学部に所属していた研究者の力添えを得て現地調査し、報告書を作成された。高原一隆・増田洋編『地域問題の経済分析』(大明堂,1986年)である。その内容は、「国の政策と地元の経済活動との乖離、つまり中央の政策が地域の現実に合致しているものではない」という実態の研究なった。これが、先生の研究の原点となった。”常識”を覆したり、新たな発見をすること、「ここに研究の醍醐味がありますし、「博士」取得に最も重要な要素です」。これが先生おの言葉である。

以後、先生は、「札幌研究と地域システム論―大量生産・大量消費の基盤―」のテーマで、

東京本社の大企業が札幌に北海道を統括する支店を配置することによって北海道の市場を拡大させていたことを札幌の経済構造をデータに基づいて解明された。

さらに、先生は、3都市(旭川,釧路, 帯広)の支店経済調査も地元の経済界の協力を得て行い、札幌支店が北海道における拠点的支店として、そしてこれら3都市の支店の多くは札幌支店の管轄の下で営業活動を展開しており、札幌の拠点的支店→地方中核都市の支店→小都市の支店・営業所・出張所というヒエラルヒーシステムの形成がデータとして証明できたのである。いわば、大量消費時代の都市構造は、大企業の政令指定都市を販売拠点としながら、中規模都市を系列化する形で、形成され発展していたのである。

高原一隆『地域システムと産業ネットワーク』法律文化社,1999をはじめ、多くのテキストに、この実態を反映させてこられた(宮本・横田・中村編『地域経済学』有斐閣,1990年、初版1刷~、中村編『基本ケースで学ぶ地域経済学』有斐閣,2008、初版1刷~)。

高原先生は、このような大企業を中心とする、都市間系列化への傾向が、早晩、行き詰まりを見せ、それぞれの都市の「内発的な」発展によって、とって代わられる傾向がるのではないかと、考えられていた。

これは、ある意味で、大量生産、大量消費、大量廃棄などの「量産型」経済が、情報技術の導入とともに進む、「多品種少量」型経済へと変化するとの見方である。これが、都市の今後の発展にも、影響を与えるのではないか。

このような視点から研究すれば、今後の都市の発展傾向も見えてくるのではないか。

そこで、高原先生は、大企業の系列ではなく、自立志向を持つ、都市の中小零細企業と、その相互支援ネットワークの形成に注目してゆかれます。

ここで、先生が注目されたのは、地域主体のイノベーション力,起業力を支える企業間ネットワーク研究の方向であった。

このとき、参考にされたのは、イタリア中部(第三のイタリア)で中小企業間のネットワークによって国民経済を牽引している現状(「イタリア経済の奇跡」)を視察されたことであった。企業間のネットワークが高い生産力を生み出せるのではないかとの仮説をもって、先生は、第三のイタリア,沖縄そして北海道内で多くの企業ヒアリング特に企業間ネットワークによって成果を生み出している企業及びネットワーク組織を対象にヒアリング調査を行われた。さらに、国内で中小企業ネットワークによって地域経済を支えている地域(東大阪,東京・大田区など)の視察も同時並行的にすすめ、そこでの成果や教訓を学び参考にされた。

それらの成果は、拙著『北海道における産業集積地域の可能性に関する実証研究』北海道開発協会,2001年/拙著『ネットワークの地域経済学』法律文化社,2008年(初版1刷)として出版され、前者は、企業間ネットワークを基盤にした産業集積地域形成が北海道でどのような可能性を持っているかについて、この3都市(旭川,釧路, 帯広)の比較から見たもの。沖縄については、新たな中小企業政策の下で、創造的発想,研究開発,近代的経営への努力を沖縄らしさのネットワークと結合させながら進めている姿を見ることができたと述べられている(宮本・川瀬編『沖縄論』岩波書店,2010年)。日本でもコアをもった小規模な企業が集積する工場団地形成がもっと普及されるような政策への期待をおもちでった。

このように、高原先生は、一方では、地元中小規模事業者や、そのネットワーク形成による、都市自立への方向性と、他方では、東京中心の支店ネットワークによる都市の系列化とういう、二つの傾向を解明された。そして、全社が限界にきており、後者の方向が発展するとの見通しを明らかにされた。

これを、還暦を過ぎた頃、「北海道経済の総合分析」に適用されたのである。

“シリーズ 社会・経済を学ぶ”の1冊として『地域経済の多様性と内発的発展―北海道の地域分析―』日本経済評論社,2014年、が刊行された。

札幌一極集中や人口減少、素材産業衰退の中で、1.北海道経済の歴史(開拓時代から波プル経済崩壊まで),2.北海道経済のマクロ分析(人口,GDP,域際収支),3.北海道経済の主要産業の分析(第一次産業,建設業,工業,商業,情報・通信業,運輸業,金融業,サービス業,観光業),4.札幌,5.地方都市(函館市,旭川市,釧路市),6.過疎地域(西興部村,夕張市)という構成で叙述し、中央政府に依存しない経済の構想,地域内からの基盤産業形成の追求,地域内外の経済主体とのネットワーキングの上に立って教育や文化など総合的な地域発展が求められることを述べられている。そして2020年には統計データのリニューアルと同時に、新しくエネルギー産業,バイオ産業,高齢者福祉産業などを追加して改訂版を出版された。『改訂版 地域構造の多様性と内発的発展―北海道の地域経済―』日本経済評論社,2020。

これから研究される方々へのメッセージ

「1つは、地域は実に多様であること、しかもEUのような国民経済を超えた拡がりをもつものとしても考察することが大事だということです。そして、その多様な地域(経済)を理論としてまとめ上げていくことも研究の重要な意義です。また、1つの地域を徹底的に掘り下げた実証分析をすることによって、日本あるいはグローバルな産業や経済の課題に迫っていくことも可能です。

2つは、研究課題を検索し課題を絞り上げていく際に、既存の研究蓄積(先行研究)を確認することです。また、既存の研究も自分なりに類型化をしてみることも1つのやり方だと思います。

3つは、常に「通説」なるものに絶えず疑問を持つことです。自然科学と異なり、社会科学の場合、社会には様々な個人,階層,集団があり、それぞれの経済基盤をもって社会でそれぞれの役割を果たしているため答えも1つとは限りません。

4つは、社会を対象としているため、動きつつある社会の時代背景を的確に把握しておくことです。特に政策論を扱う場合には特に大事です。

以上の諸点は、私がこれまで大学で研究・教育に携わった中から、これから研究しようと意欲にあふれている皆さんへのアドバイスです。できれば参考にしてみて下さい。」

 

(©Ikegami, Jun 2020)

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