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池上・総合学術データベース:時評欄(85)池上惇「自分が生きてゆく意味を考える」

自分の生きてゆく意味とは

『日刊工業新聞』には、「ひとカイシャ交差点」と題したぺ‐ジがある。「卓見異見」という見出しがあって人目を引く。
本日(2022年10月26日)は、ブラザ‐工業株式会社社長、佐々木一郎先生のご登壇であった。先生は同紙の記載によれば、1983(昭58)年、名古屋大学、大学院卒、同年ブラザ‐工業入社。企画、品質保証、新規事業の部門長を歴任され、英国販売子会社社長を経て2009年、執行役員。2018年から社長に就任されている。
エンジニアとしてブラザ‐初のレーザープリンターの開発リーダーを務められた由。愛知県出身の65歳。

「自分の生きてゆく意味」という壮大とも思えるテ‐マにも関わらず、「見出し」は冷静そのもので「便利な世を次世代に残す」とあった。
自分の生きてゆく意味」とは「便利な世を次世代に残す」ことである。
人生の意味を考える機会に出会ったとしよう。この場で、あなたが、相手から「この言葉」を聞いたとしたら、驚くかもしれない。

「嫌」なこと、「苦手なこと」にも取り組む

佐々木先生によれば、小学校の高学年になったころから、「自分の生きてゆく意味は何かと悩み始めた。」と文章の冒頭で述べられている。そして、悩み始めた理由は、「嫌なことにも取り組まねばならない機会が増える年齢になったからだ。」と判断しておられる。
確かに、小学生の低学年までは、「好き」なこと、と「嫌い」なことが、はっきりしていて、例えば、虫が好きなら昆虫採集に熱中するし、音楽の練習が嫌ならば「相手が親でも」「嫌い」という意思表示ができる。
ところが、高学年になれば、「好き」と「嫌い」だけでは、応答できないことが次々と出てくる。例えば、教室の掃除をする当番が回ってきて、ともに、仕事をする相手が「苦手」と当たることもある。
「嫌」であっても、掃除は義務であるから、「ともに」実行せざるを得ない。相手が「嫌」な人物でも、我慢して、ともに、掃除をしていると、相手の掃除の仕方が自分と比べて熱意があり、一生懸命に仕事に集中していることに気が付く。

「嫌な相手」の仕事ぶりに感心する

彼/彼女の掃除に感心させられ、「君、すごいね」と声をかける。すると、相手が、急に「嫌な奴」から「信頼できる友」に代わってゆくこともある。我慢して一緒に掃除をしてよかった、と、思える瞬間である。
「食わず嫌い」という言葉があるが、自分の「好き」「嫌い」だけでは、決して得ることができない信頼感であり、幸福感ではないか。

心が通じ合う歓び

掃除当番の例からも分かるように、学校という社会環境は、利害関係や生存競争ではない「自由な雰囲気」を持つことが多い。学校に比べると、就職して企業人となれば、会社の文化にもよるが、社員同士であっても、同僚との生存競争に明け暮れる雰囲気が強いところもある。さらには、「生き残り」を賭けて争わねばならないところさえある。
そうかと思うと、会社によっては、従業員、個々人の個性を尊重しあい、自主的に「自分が志望するポストを選べるように配慮してくれるところもある。
このような差異がでてくるのは、会社には、「営業の自由権」が認められていて、法に違反しない限りは、経営者は自治権を行使して自由に職場を編成する権利が与えられている。
かつての時代には、「会社が金銭的価値を最優先課題とする」企業が多く、とりわけ、産業革命期には、子供や女性まで深夜まで働かせるような、非人道的、非倫理的な待遇が多かった。
しかし、市民社会における人権思想が根付いて行くにつれて、「自由で開かれた」経営を実践して、社員、個々人の人権を尊重し、健康や生きがいに配慮したほうが、生産性も上がり、事業収益も増加するのではないか、という「実験」が行われてきた。
このような「実験」の先頭に立ったのは、ロバ‐ト・オ‐エン(1771-1858)など、かつては、空想的な経営者と呼ばれた「人道主義者たち」であった。彼らは、社員が「心を通じあって協力して働き、労働時間を短縮して、健康で、生きがいの持てる働き方や、生活のシステムを構築する」ことを目指した。
さらに、19世紀の後半になれば、ラスキンやモリスの「生活の芸術化」による社会の進化という社会運動が登場し、経営者である親方と勤労者が職人として、ともに、熟練、技巧、判断力を身につけ、親方は教師としてふるまい、勤労者は教育の結果、手仕事の水準が上がることを感謝して、「ともに」企業の自治権を活かして、消費者の要望に応えるシステムが台頭する。
彼らは、しばしば、ロマン主義者と呼ばれ、経営者が親方であるべきだなど、ユニークな視点にこだわるのだから、科学を無視した復古主義のように思われて厳しく批判されたこともある。
しかし、いま、資本主義も、社会主義も非常に大きな困難に直面する中で、改めて、その意味が問われ始めた。

これらを念頭において、今日は、これらの問題を「人生になかで出会う困難を、克服する課題」として、佐々木先生による「便利な世を次世代に残す」ご提起を取り上げてみよう。(©Ikegami,Jun.2022)

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