文化政策・まちづくり大学

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池上・総合学術データベース:時評欄(37);「コロナ・ウイルス感染症と、克服後の日本社会」2020年4月13日

死が迫る実感と、これからの日本社会

私は、終戦直前、大阪大空襲後に、市内で、焼夷弾攻撃を体験した。

父母が和歌山の集団疎開から、茨木にあった縁故疎開先への移動中である。

実家が天王寺にあったので、当時の国鉄で、森ノ宮駅まできたとき、空襲警報で電車が止まり、外にでると、焼夷弾の雨。

父が軍人で安全なところに避難させてくれたので、わたくしと父母の命は助かった。その時の「死への恐怖」は、今でも、身体(からだ)が覚えている。

今回のコロナ禍も、この実感がよみがえってきた。恐れずに立ち向かおうとする、強い気持ちは持ち続けているのだが、漠然とした不安感が益々、強まってくる。このバランスが崩れないようにと、必死に耐える。

そして、この過程で起こったこと。それに対する応答。

その後に起こること。それで、日本社会は、どのように変わるのだろうか。

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この3月から、ただならぬことが起こった。緊急事態宣言から、「人間との接触機会を80%減少させ、食料品などの必需品を除き、密接な対人サービス事業を停止。」

「海外との人の交流をやめ、物資のみの販売システムを残す」。

そこで、「テレワーク」が基軸となり、在宅勤務が普及し、通信教育が当たり前になった。

 

地域の自治最小単位への注目が集まる

誰が考えても、人の接触機会を減らすだけでは、ウイルスと闘えない。医療組織や保健所機能が隅々まで行き渡ること。顔が見える、地域の自治活動として、きめ細かく、ウイルスの所在を発見して、地域社会で隔離と治療の空間を地道に確保してゆくしかない。医療従事者の不足や、保健施設の不足を、市民が地域で学習して、専門家として高まってゆく努力をする必要もある。市民すべてが感染症と闘う決意をもって、専門家から学習しながら、科学的で正確な対応をしなければ、感染を止めることはできない。

しかし、この「専門家を目指して学習する意欲と実行」あれば、今後のウイルス襲来や、環境破壊による災害の激化にも応答しうる、健康に強い人材が市民の多数を占めるだろう。専門家と素人のギャップを埋めながらの、「地域感染防止・治療センター」兼「医療・看護・介護学習センター」が各地に誕生する。関係人材を育成する学校・大学・大学院も。通信制で。

地域基金の再生と、諸問題への応答可能なシステム

さらに、各地で、このようなセンターを造ろうとすれば、学区や、地区ごとに、「仕事と生活を守る地域基金」を構築し、失業や、休業や、所得減少に応答する必要がある。

かつて、日本の学区や地区には基金があった。京都では「かまど金」という。学舎・教員を確保するだけでなく、公務や消防、防災、起業資金の提供、奨学金など、多様な目的に活用され、郷土を愛する人々を生み出してきた。

学区や地区で募金を募るとき、真っ先に応じてくれるのは、地元出身で、大都会で働く人々である。都市と、農村を結ぶ募金ネットワークが構築され、個人や企業、非営利事業、地元自治体なども参加して、地域に基金が誕生してゆくだろう。今の政府や自治体は厳しい財政の危機に直面していて、確実なことを提案できるかどうかはわからない。

ここは、命を守るために、故郷を滅ぼすことのないように、地区や学区が主体となって、基金をつくらざるを得ないだろう。

自給体制と、イノベーション・システム

そして、首尾よく、何年か先に、コロナを克服した時、人的な交流がなくなり、貿易もままならずの状態では、食糧や、原材料の国産化は、避けることができない。

日本人は、伝統的に、創意工夫に強く、職人としての力量を持っていることにかけては引けを取らない。生産・流通・消費・経営における絶えざる国際交流とイノベーションの力量が、各地の潜在資源を生かしながら、商品やサービスの多品種少量生産システムと結合される。

その際、都市の最小自治単、学区と、農村の地区が、それぞれに、相補える相手を見つけ、農村から、食糧や資源・健康を守りうるシステムやノウハウを調達し、都市から、高度技術と職人の力量が結合された財と経営のノウハウを受け取る。

では、日本お未来は、どうなるのか。(Ikegami, Jun ©2020)

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