文化政策・まちづくり大学

総合学術データベース

総合学術デ-タベ-ス:個人別研究内容(12)中野健一 先生;日本経済学としての商人道 :内容紹介;池上惇

教育活動をも担う経営者

中野健一先生は、大学を出られて経営者の道を歩んでこられた。

同時に、先生は、経営者には稀な、協働する人材を育てるシステムを、本業と並行して、発展させてこられた。いわば、経営者であり、学校長として教育活動も担われる。

私は、以前から、事業経営人は、経営を担う人であると同時に、職業教育や起業教育をも担う人であるべきだと、主張してきたが、耳を貸してくださる方は多くはない。

私が、なぜ、このように考えたかというと、多くの経営が後継者や協働者の不足から事業活動の困難に直面されることが少なくないからである。

経営は絶えざるイノベーションの連続である。経営者に研究する力量があり、それを基礎にして、さらに、創意工夫できないと、あっという間に業績が悪化する。

研究する人材や、創意工夫する人材を育てるのは、容易なことではないが、これができる経営者を、いつも、探していた。

私自身も、このような力量から学びたかったからである。

そして、このような力量を持つ人々を、わたくしも努力して、増やしてゆかないと、経済的な豊かさや格差の解消、中流の増加にはつながらないということが分かってきたからでもある。

これらは、50年近くに及ぶ、「模索続きの、厳しい教育経験」から判断してきたことであった。

 

私人から公人へと発展する経営者像

-新たな研究の第一人者-

さらに、中野先生が推進されている研究活動の中心テーマは、「経営者の公人化」である。

欧米では、経営者が引退すると、期待されているのは「寄付活動」であって、「経営の経験を生かして私人が公人として経営ノウハウを生かして活動する」などという考え方は滅多にない。欧米では、経営のノウハウなど、あっという間に通用しなくなると思っていることが多いからだ。

しかし、日本社会の経営の歴史には、創業者の経営ノウハウの中に、継承とイノベ-ションの双方にわたるものがあると考える経営人が多い。このような意味では、世界にも稀な経営者が存在する。長寿企業も非常に多い。

これを発見され、世に出されたのが、中野健一先生である。

どうして、日本にだけ、このような経営者が現れて影響力を持ってきたのか。

このような考え方を、現代において、生かしてゆけば、所得を再分配するだけではなく、一人一人の経営力量を高めてゆけるのではないか。

これは、長い目で見れば、所得格差解消にも貢献できる。

では、どうすればよいのか。

興味のある方は、中野先生や私とともに、お考えをいただきたい。

 

日本経済学としての商人道 

 これが、中野先生の研究テーマであり、研究論文の主題である。

具体的には、「商人の公人化」として、石田梅岩(1685年1744年)の人生と、主要著作、『都鄙問答』の研究が含まれる。研究の方法は、梅岩の原典を研究すること、すぐれた解説を残された石川謙先生の研究を基礎としてこられた。

優れた解説は、非常に貴重なもので、そうたくさんあるものではない。石川先生のご解説には、逸話も含まれていて、幕末期に、京都を訪問して、梅岩の後継者たちが行っている実践に接して感動した、という話も紹介されている。

それによれば、「貧困に落ちれば、京都に来てみよ。実際に、死なずに済む」という逸話である。これは、梅岩弟子たちが、私人から公人になって、救貧事業を行い、これを永続させて、人命を救っているとの高い評価である。

経営者というのは、倹約しながら、各地のモノの値段や、「値打ち(ねうち)」を知っている。安くて、よいものを作っている地域を発見して、それを高く評価する地域に運ぶことができれば、みんなが喜ぶし、商売の結果として、経済的な余剰も増える。この余剰を所得再分配に活用すれば、無料で食事などを提供できる。飢えなくても済む地。私人から公人化した経営者がそれが支えうる。これが当時の京都の姿であった。

中野先生によれば、石田梅岩は、彼の生涯を通じて、終始一貫して「住みよい世の中の実現」を願いとした。主要な著作『都鄙問答』(とひもんどう、1739年元文4年)では、彼の思想と行動が体系的に示され、「庶民的質問者と梅岩との対話形式」で徐々に内容がわかる。まさに、庶民に向けての生活哲学書であった。

 

生活哲学者=石田梅岩

これは、ある意味では、「商人への道をすすめる」姿勢であって、「世の人が商人となって、公人になれば、幸せな世の中になりますよ」との話題提供である。

当時、商人は、「だます」ということで誤解されていた。これでは、駄目で、長続きは難しい。正直で誠実な人でないと商人にはなれない。ましてや、社会的な信用がなければ、商売繁盛になるはずがない。

同時に、社会的な信用があれば、商売は、着実に発展し、成果を上げる。

その意味では、商人の道は、自分の人格を高める道であり、自分の心を倹約の中で、鍛えあげて修行するのであり、僧が修行するように、商人としての仕事をする中で、自らを自覚的に鍛えるのである。商売の場こそ、修行の本場である。

さらに、誠意をもって、正直に行動すれば、新たな経営の方法を創意工夫できるようになる。とりわけ、商人は、西にある商品と、東にある商品との差異を見分け、差異を生かして、交換するのに適した商品を選び出して、交換によって、利益を上げる。

もう一歩すすむと、倹約という行為は、無駄を省きつつ、清廉な人格を高めるのに役立ち、私益を犠牲にしてでも、客や雇人のために「公共心」をもって働くこと、これが働き甲斐であることを人々に教える。

この意味では、商人は、経済公人であって、僧が修行して、人のために尽くすように、倹約によって、鍛えられながら、商品を買う人々のために公人として行動せざるを得ないのである。

 

商人の公人化こそ公正競争社会への道

梅岩は、商人が、人格を高める中で、創意工夫による発明などの実践を仕事に生かすこと。これを永続化させ、心学修行と産業経営の心構えを総合的に身につけることを「塾教育」を通じて、経営者に教えた。

商人に、「自分は経済公人である」と自覚させ、勤労によって能動的に働くことで生産性を上げ、この道に通じたベテランとなれば、倹約によって得た余剰利潤を、救貧活動に奉仕させる。これによって、私益を公益化させ、社会の欠損である、貧困者に「再投資する布施」の実行へと一貫させたのである。

ここで、注目されるのは、梅岩が持つ、近代的な個人重視の考え方である。世は封建社会であり、士農工商の身分制社会である。そのただなかに、商人の道を説くのだから、個々人の修行や創意工夫を当然のこととして、受け入れさせる必要がある。

興味深いことに、当時、幕府は、「商人の贅沢」を憎み、禁止し、刑罰さえ用意していた。しかし、倹約という徳に対しては手を触れることができない。武士道の特徴であろうか。

これが、実は、武士道だけでなく、自然崇拝や霊の存在を認め、仏教文化を受容してきた、日本社会が、暗黙の了解として認めてきたことなのである。

すなわち、日本社会では、神仏儒など、霊について学ぶことは民間人であっても許されてきた。

例えば、もともと、日本でも、中国と同様に、僧となるには、国家、天皇の許可が必要でった。しかし、7-8世紀のころから、「民間の寺院で僧となることを認める」という制度が、確立された。世界に稀な、画期的なことである。

その原動力となったのは、「学習し、修行して、僧となるものには、国家の許可がなくても、寺院主体となって、僧となることを認めさせる」活動を行った高僧である。この凄いことを実践した徳の高いお坊さんがいた。

行基菩薩と呼ばれていて、今でも、全国各地に彼がつくったという寺院や病気治療のための温泉施設などがある。彼は、当時の天皇を上回るような徳の高さ、技術力、資金力(地元豪族などによる寄付・資金と土地)を持っていて、仕事を失った人々に対して、公共事業=水路の開発、架橋や道の整備など、仕事の機会を提供した。当時の職人や技術者、労力の提供者など、人々の力量に応じて、仕事を提供している。このように、人々の力量の違いを生かしあいながら、大きな建設事業=仏閣の建立や、大土木工事などを民間力で行ったのである。これは、貧困者だけでなく、建築などの職人層や、当時、経済力を持っていた地元豪族の支持をも得ていた。

これは、民間における、一種の地域経営の「事始め」であった。

国家を上回る財務力量を持つ民間人。これを持ちえたことは、日本の歴史上、画期的なことである。当時、天皇は、行基に依頼して東大寺などの建立を実行できたというから、その力量や、非常に大きなものがあったというべきであろう。

その後、多くの民間人、高僧や、能の達人・芸術家、そして、江戸時代には、商人が続々と登場してきて、「時の支配層」を上回る力量を発揮し始める。梅岩も、その一人であった。

梅岩の生き方が多くの支持者を得たのは、塾の経営に負うところが大きい。

「民間塾を自由に設立できる(といっても設立時には届を出して奉行所などの許可を得た。同時に、自由に認可できたという暗黙の自由であるが)」という学習における日本的な特徴こそ、重要である。

これがあれば、武士だけでなく、商人も対等に、学習の機会を持つことができる。

いわば、社会における、学習機会、つまり、スタートラインの平等が日本社会には存在した。「よみ・かき・そろばん」ができる、識字率最高の社会が推進できたのである。

これが基礎となって、私人から商人の公人化を促し、公正な商いによる経済創造を社会的に実現する。いわば、人格創造による「公正競争秩序構築」が、梅岩思想の核心にあったのではないか。

その結果、学習した商人にとっては、地域ごとの商品の差異や、それをうみだす、職人や、人々の才能の差異も、評価することができるようになる。これは、職人の才能の差異を社会の共通資産(コモン・ストック)として評価することにつながる。これは、商人の「目の高さ」を意味した。

さらに、商人同士も、商人は、互いの商売のノウハウなど、差異から学び合うことが可能になり、相互理解による生産性の向上で差異から価値が見出されて、商人の「才能の差異」が、社会の共通資産(コモン・ストック)となってゆく。

これが、民間主導で実現してこそ、「良い社会」が実現するのである。

石田梅岩が日本文明において確立した経済思想。すなわち、「商人道」の本質が、ここにある。

これは、素晴らしい中野先生のご発見であった。

(©Ikegami, Jun 2020)

お知らせ一覧へ戻る