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総合学術データベース:時評欄(72)ホ-ムペ-ジ用;池上惇「経済安全保障推進法案と 日本経済界の意見をめぐって」

経団連意見書の提出

 

『日刊工業新聞』2022年2月10日付の報道は、「岸田政権が今国会に提出を目指す『経済安全保障推進法案』をめぐり、経団連が9日、小林鷹之経済安全保障相に意見書を手渡した。政府方針を支持しつつも、企業活動の制約に強い警戒感がにじむ。背景には、制度の詳細や具体的な運用が見えにくく、国の裁量が大きいことがある。」と報じた*。

 

*『日刊工業新聞』2022年2月10日付、4ページ。見出しは「企業活動 制約を警戒 経済安保法案 経団連が意見書」「詳細は政令・省令で 見えぬ対象」。

 

首相官邸などのホームページによれば、現内閣の関連閣僚からなる各位が法案準備などを念頭に、昨年11月19日に議論が交わされている。大きな柱としては、

①自律性の向上 (基幹インフラやサプライチェーン等の 脆弱性解消)

②優位性ひいては不可欠性の確保 (研究開発強化等による技術・産業競 争力の向上や技術流出の防止)

③基本的価値やルールに基づく 国際秩序の維持・強化 政府一体の対応 戦略的国際連携 産学官連携 各種政策手段 〈目標 〉などについて、議論が行われた。

上掲の記事では、経団連の片野坂真哉副会長(NANホールデングス社長)が、会議のメンバーでもある、小林鷹之経済安全保障相に意見書を手渡した。

この記事によれば、「経済安全保障推進法案」は、

  • 生活に欠かせない重要物資を安定的に確保するサプライチェーン(供給網)の強化、政府が企業を調査することを含む。
  • サイバー攻撃に備えた基幹インフラの事前審査。
  • 先端技術の官民協力。
  • 特許非公開。

の4本柱で構成される。

政府の原案では、違反した場合の事業者への罰則が設けられ、「最大『懲役2年以下』としている」と報じられた。

 

政府原案に対する経団連の意見書

 同紙によれば、経団連の意見書では、「自由に事業活動を展開できる環境を維持・改善することが重要」と念押しをしたうえで、基幹インフラの整備において、「懸念のある外国製品が使われていないかに関する事前審査について、対象を『厳に必要最小限度にとどめなければいけない』と明記」したと報じている。そして、「対象設備を決める際は企業と所轄官庁との対話が重要だとした。」

さらに、法施行前の導入設備への「遡及適用」も経済界にとっては、「懸念材料」であり、意見書では、「事業者に甚大な負担となる」と指摘した旨を報じている。また、半導体などの重要物資のサプライチェーン(供給網)の強化については、政府が企業を調査することが盛り込まれる見通しであるので、「調査対象をできるだけ絞り込む」ことで、「事業者が調査の目的や意義を理解できるようにすることを求めた。」と。

 同紙は「意見書」の背景にあるものとして、次のように述べている。

「企業側の懸念が払拭されない背景」として、「具体的にどの企業がどんな制約を受けるかが不透明だからだ。その対象は法律に明記されるのではなく、国会の審議を経ずに政府方針で改廃できる『政令』『省令』で定めることになっている。

例えば基幹インフラでは、事前審査の対象として電気、ガス、放送、金融、鉄道など14分野が法案の原案に記されている。ただ具体的な事業者は所管大臣が指定する仕組みで『省令で定める基準に該当する者』としか記されていない」と。

さらには、「特定重要設備」とされる審査対象の設備とは何か、も不明であり、原案では、事業を安定的に担うための「設備、機器、装置またはプログラム」されているが、具体的には、これも、「省令で定める」。

サプライチェーンの強化では、国民生活や経済活動に欠かせない物資を「特定重要物資」に指定する。想定されているのは、「半導体や医薬品、レアアース、蓄電池」であるが、これも、機能的な対処を必要とするので、「対象物資は政令で定める」。これらの物資を扱う事業者は、生産や輸入、調達や保管状況などについて報告を求められる。事業者からすれば、「求められる情報の多くは企業秘密に関するものだ。」*

 

*同上。

 

サプライチェーンにおける人権問題の台頭

 日刊工業新聞は、2月4日付の報道において、「深層断面」特集では、企業の自由な経済活動と国の安全保障政策との間の「バランス」問題を取り上げている。この記事のなかで、米中対立の中での対中国軍事・安全保障関連戦略とは、やや、異なる提起が経済界から行われていた。それは、経団連の片野坂真哉副会長の発言である。発言の文脈は、記事が、サプライチェーンの強靭化に関して「国民の生存に必要な物資」を確保する必要性を指摘し、半導体や、蓄電池の生産や研究開発の国による支援、供給途絶のリスクがある物資の代替品の開発などへの国の支援を想定したのちの発言紹介である。

それは、つぎのように、述べられていた。

「サプライチェーンはビジネスそのもので、企業が担うものだったが今は政府の関与が必要だ。人権が絡むと国家間の問題となる。」

ここで、指摘されているのは、米中の軍事的な、安全保障的な対立が深まり、中国の技術などを活用する日本企業に対して、当該技術の使用を米国から禁止されるようなことが起これば、中国技術に依存していた日本経済は、サプライチェーンの変更を迫られる。これによって、日本国民にとって、「必需品や、必要な情報システムなどの供給が中断される」ような事態が発生し、国民の生存権が脅かされる事態が生じたとすれば、企業は、どのように事態に対処すべきであろうか。

例えば、日本国憲法の下で「国民の生存権に責任を持つ日本政府」と、「必需品や必要な情報システム」における「サプライチェーンの変更を余儀なくされる日本企業」は、どのように対処すべきであろうか。

経団連の片野坂真哉副会長のご発言は、政府と企業が情報を共有し、連携して、サプライチェーン変更の準備をして、安全保障上のリスクに応答せざるを得ない、という意味にも取れる発言である。この場合の人権とは「日本国民の生存権」であろう。

しかし、ここで、考慮すべき問題がある。それは、日本国民の生存権に配慮すべきなのは、日本政府だけでなく、日本企業も同様ではないか。さらに、日本企業は、現実に、国民生活に必要な物資を供給しているのだから、企業の自発的な倫理として、政府に先駆けて、国民の生存権に配慮すべきではないか。という点である。政府の存在とは別に、企業倫理として、消費者の倫理的な要請に対して応答し、自発的・内発的に、公共性を発揮して、持続的な供給システム、サプライチェーンを構築すべきではないか。この場合には、民主導の公共政策が必要となる。

もしも、人権としての国民の生存権に配慮したならば、例えば、食料の自給率など、日本市民の生存にとって不可欠な食料の多くを海外に依存するなどのことは、到底、許容しがたいことである。しかし、現実には、カロリー・ベースでみれば2029年度で、40%を切る低水準であり、とりわけ、畜産物は飼料の大半を海外に依存している状況が継続している。金額的に見れば、67%と高く出るが、それは、畜産物の価額が大きくなるためで、飼料や肥料などの海外依存状況を考慮すれば、コメ以外は海外依存度が非常に高く出てくる。農産物の供給システムという重要な領域を、これまで、日本における貿易政策では、自動車などの機械類、高付加価値製品の輸出を増やして、その代わりに、農産物関連の輸入を増やす政策を採用してきた。

本来、農産物は多品種少量生産システムにおいては、典型的な商品であるから、生活の質を高めるという現代日本人のニーズからいえば、最も、重視すべき領域である。農業経営の未来に希望が無くなれば、食料自給率の低下は政策的な方向性だけでなくて、農家経営自体の内部からの要請となって衰退してゆく。過疎地には、耕作放棄地が現れて後継者が去ってゆくという状況が全国各地に広がった。

日本農業は、元来、地域ごとに品質の特性があり、多様性をもって、多品種少量生産を実現してきた。このような、伝統文化というべき農業を工業における多品種少量生産システムの成果も受け入れながら永続的に発展させる道をこそ追求すべきであったのではないか。リサイクルや循環型社会の構築を視野に入れて、いまこそ、方向を転換すべき時に来ているのではないか。日本各企業も、農業生産の可能性や価値に気が付いて、投資先として開発を始めている。テレワークの普及や農山漁村の生活にける魅力も伝えられるようになった。企業の倫理としても、農業生産に参入して、方向転換に資する経営の方向が求められているのではあるまいか。

食料自給率の低下に対する反応も含めて、現代の企業倫理は、例えば、米中対立の中で、企業が自発的に、サイバー攻撃に弱いと判断した中国製の技術から、フィンランド製の技術へと契約先を変更する場合などにも、ひろく認められる基本的な傾向である。政府は、このような企業倫理を尊重し、追認すれば、それで、良いのではないか、とも言えるかも知れない。人権に関わることだからと言って、企業が後に退き、政府が先にでて法律を作るなどのことをすれば、企業の基本的な権利である、「営業の自由権」を侵害する恐れもないとは言えない。政府は万能の判断者ではなく、過度の介入などの過ちも犯す可能性があることは、率直に認めざるを得ないのではないか。このことは、1930年代以降、1945年までの政府の判断を参考にするだけでも政府が過ちを犯す可能性が高いと判断できる。政府が迷走した時、国民生活へのマイナスの大きさを深く検討すれば、過ちが何を意味するかは容易に解明し得ることである*。

*この点で、参考になるのは、戦前、政府を担う人材の精神史を取り上げて検討された、鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 1932-1945』岩波書店、2001年。及び、古川隆久『昭和戦中期の議会と行政』吉川弘文館、2005年。

経団連意見書が危惧するのは、過度な介入を政府が始めると、対処する上で、莫大な費用を要するということである。さらには、不確実な状況の場合には、やむを得ず、契約行為を行ったとして、その場合ですら、契約行為を点検されて懲役まで用意されるというのは、あまりにも、行き過ぎたことではないのか。このように、経済界が考えたとしても常識的には不思議ではあるまい。日本国民にとっての最優先事項は自分たちの生存権を確保するために、企業が倫理性を発揮して、自発的に、経営方針を変更してくれることである。企業の倫理的判断であれば、企業の「営業の自由権」と両立する。政府の介入が行きすぎることもない。国民の生活権に配慮する企業や、配慮する可能性のある企業に対して、「自由な営業の場」を保障すべき政府が、自由な営業の場を狭めるような行為を行うことは避けてもらいたい。このように考えても自然なことであると思われる。

さらに、この人権問題を複雑化し、錯綜させている要因も存在する。それは、アメリカ合衆国側が強調する「ウイグル族に対する中国政府の人権を無視した実態」とされるものである。この実態は、トルコに逃れたウイグル族による中国政府批判の動きや西側の新聞報道、アメリカ政府自体の判断などに依存する状況であり、日本国民がコロナ禍で国際的な交流が難しい中では、「自分の目で確かめる」ことは困難な状況である。

もしも、ウイグル自治区で強制労働や人権無視の低賃金労働などが強制されているとすれば、この事態に対する判断も、まずは、企業側の倫理的な判断によって、この場から契約関係を変更し、公正な待遇と賃金が支払われて人権が保障されている企業や地域との契約関係を確立する必要があるのではないか。例えば、『日刊工業新聞』2022年2月16日報道によれば、酒井重工業は、建設機械部品や資材の大口サプライヤ-を対象に「人権上のリスクが存在しないことを示す証明書」の提出を2022年度から契約相手先に求める方針を決めた*。企業は、政府に先駆けて、すでに、判断を下しているのである。

*『日刊工業新聞』2022年2月16日付、1ページ。

 

企業における営業の自由と矛盾する米中対立の構造

 2月4日付、『日刊工業新聞』の特集記事における、見出しは「経済安保、バランス重要」「重要物資の確保 企業活動に制限」「米中摩擦で浮き彫り」「日本の対応これから」などであった*。

*『日刊工業新聞』2022年2月4日付、28ページ。

この記事で注目されるのは、「すでに通信業界では、対応が進んでいる。ソフトバンクは第4世代通信(4G)基地局の基幹ネットワーク機器にファーウェイ製などを採用していたため、交換に動いている。5G基地局向けではフィンランドのノキアなどの製品を導入した。NTTドコモやKDDI,楽天モバイルは、中国製は不採用という。」(同上)との報道である。

この問題では、米中対立の焦点となった、中国企業「ファーウェイ」の登場が注目される。日本企業の応答は、企業の営業の自由権を生かした、「営業の自由」に属する経営判断である。企業の倫理として、「他国から情報を管理され、また、軍事的に利用されないように、あらかじめ、応答しておくこと」にすぎない。これらは、国の法律によらなくとも、企業の自立的な判断によって「営業の自由」を活用すればできることである。また、多くの日本市民の共感も得ることができるだろう。

法を制定するとなれば、日本国憲法第22条 職業選択の自由や、第29条 財産権の保障 などの条項に反することは規定できない。また、安全保障政策は、市民主導のもとで行われてこそ、実効性が高い。さらには、安全保障政策の核となる自衛隊そのものが議会や民間行政、法務などの統制を必要とするからでもある。軍隊組織は市民のものであって、軍の組織は民意を超えることはできない。第二次世界大戦中は日本の軍部が政治の主導権を握った結果、重大な結果を招いた。このような事態を再び招くことがないように配慮するとすれば、「経済安全保障問題」にたいして、過去の経験を踏まえつつ、どのような応答ができるのであろうか。(©Ikegami,Jun.2021)

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