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総合学術データベース:時評欄(66)ホ-ムペ-ジ用;池上惇「総有の概念と『財の小型化』『良デザイン化』『高機能化』『適正価格化』をめぐって」

財の小型化は航空機にも及ぶ

戸崎肇『ビジネスジェットからみる現代航空政策論』晃洋書房、2021年に、次のような指摘がある。

「日本を代表する自動車メーカーであるホンダは、そのDNAともなっているパイオニア精神の発露として、航空機の製造にも乗り出した。・・・長い年月をかけて小型ビジネス機の開発を成功させた。・・・機内の快適な環境を作り上げ・・・エンジンを翼の上にとりつけ・・・機内空間を広くすることに成功したのである。

この機体デザインも洗練され・・・少ないスペースを最大限活用しようとする・・・。

ホンダ・ビジネスジェットは、北米などですでに多くの機体が販売され・・・手頃な値段設定もあり(1機約5億円)、・・・アメリカ市場において好評を得、好調な販売実績を上げてきた。」*

*戸崎肇『ビジネスジェットからみる現代航空政策論』晃洋書房、2021年、179ページ以下参照。

この指摘には、大型を特徴としてきた、航空機製造の世界にも、「小型化」「良いデザイン」「狭いスペースにデザインと調和した高機能」「適正価格化」が波及していることが見事に示されている。

情報技術の研究者が指摘するように、大量生産・大量消費・大量廃棄システムの「産業革命型技術」から、情報技術を採用する多品種少量生産:質の高い消費:リサイクル・システムへの大転換が産業のすべての領域で大規模に開始されているのである。

日本の地域と中小零細企業の伝統文化=職人型イノベーション精神

このような世界的傾向に比べると、日本産業の動向は、いまだに、ホンダ製造の小型航空機でさえ市場開発が始まったばかりである。中央集権的な「政府による護送船団方式」の形骸が根強く残されてきた結果であり、いまだに、巨大企業の集中・合併で急場を切り抜けようとする傾向が後を絶たない。したがって、対応が後手に回ることも多い。

他方で、ホンダのような、日本の職人型伝統を背景に、パイオニア精神をもって、イノベーションを実行する経営者も多い。

その意味では、日本社会の深層では、アンバランスさが目立つ。

これは、なぜであろうか。

おそらくは、明治維新が政府の政策としては、中断してしまった、多品種少量システムの伝統文化が日本の地域社会では、根強く維持されてきたことと関係がありそうである。

例えば、『遠野物語』を書いた、柳田国男が農政学から民俗学に研究の重点を移したことは、日本各地の伝統文化を再評価する契機となった。以後、澁澤敬三をはじめ多くの経営者が民俗学に興味を持ち、宮本常一などの民俗学者を育成したことも影響している。

かれらは、民俗や習慣だけでなく、地域社会の伝統の中に、職人文化や、祭りを通じての「人々のつながり」を発見して、その意味を高く評価し、内発的発展論として理論化した。*

*鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年。

このような文化的伝統は、農村部から都市部へも広がり、日本の中小零細企業者は、パイオニア精神と、公共精神を併せ持つ経営者の伝統がうまれた。尊徳精神を継承したのは、グンゼ製糸の創業者、波多野鶴吉など、多数に上る。

「正義」と「利益」を追求した澁澤栄一

最近では、渋沢栄一著『論語と算盤』の人気が高く、国連からESG投資や、SDG‘sが提起されると、雪崩を打つように、反応する。「持続可能な経営」「永続性のある経営」を追求する経営者の姿勢は本物であるように見える。

このような「本物」の経営者が絶えず立ち返っているのは、二宮尊徳の「仕法」であり、「興国安民法」であった。渋澤も、尊徳の実績は承知していた。同時に、澁澤は、明治維新の直後に状況では、尊徳仕法を存続するよう主張することは、非常に危険であり、政治生命や命そのものにも関わることであると認識していた節がある。この点は、西郷隆盛との相違で、西郷は、尊徳仕法の内容を知っていて、これを薩摩の地で実行しようとさえしていた*。

*佐々井信太郎「富田高慶小伝並選集解題」、『二宮尊徳全集・第36巻、別冊、門人名著集』二宮尊徳偉業宣揚会、1931年、12ページ。

しかし、澁澤は、明治維新後の民間における、金融市場形成や、私益を追求する、金銭至上主義者や、金権をもつ財閥ではない、独自の「民間で実行できる公共性の高い分野」で、経済活動を展開した。例えば、社会事業、地方の鉄道や港湾の整備、電力事業、保険・金融事業などである。

このような事業は、「正義」と「利益」の両立を確保しつつ、現代では、ESG投資のような、環境問題や社会問題の解決に資する領域への投資活動を意味していた。

澁澤は、このような意味では、尊徳の後継者であり、「民間公共活動の後継者」でもあった。西郷は西南戦争で死に直面したが、彼は、生きて、尊徳の、パイオニア精神や公共精神を行動によって人々に伝えたのである。

この場合、澁澤は、尊徳の「経営ノウハウを地域の人々に推譲し、私的所有を維持したまま、イノベーションを実行する公共活動」を実践した。しかし、ここにおける「私的所有を維持したまま」という、現代にも通じる実践の意味は、現在に至るまで、解明されずに、終わっている*。

*前回、この時評欄で、中国の研究者が「共同富裕論」を支えてきたことを説明した。中国研究者で日本に紹介されているのは、王(ワン) 向(シアン)明(ミン)、中国人民大学教授である。教授の私有に関するご指摘は以下のとおりである。

「マルクスは私有権を否定しましたが、改革開放を進めた鄧小平はこれを認めました。社会主義の初期段階では経済を活性化させ、創造性を引き出すことが国を良くすると考えたからです。確かに社会主義の教科書通りではありませんが、中国の『特色ある社会主義』は紛れもなく大多数の人々の福利を求めています。脱貧困は達成され、食べることや着ることに困らない社会は基本的に実現した。これからは共に豊かになる『共同富裕』へ向かいます。時代に応じて変化できることは、中国共産党の大きな特徴です。」(『朝日新聞』朝刊、2021年6月30日、11ページ。「オピニオン&フォーラム 中国共産党の100年と先 交論『脱貧困は達成「共同富裕」へ』)

今回は、所有論の検討を通じて、私的所有の本質に迫ってみたい。

(Ikegami,Jun©2021)

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