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総合学術データベース:時評欄(63)ホ-ムペ-ジ用;池上惇「大都市化による過密・過疎の出現と国家破産を防止する経済学」

戦後日本における過密大都市の形成と、過疎地域の貧困化

第二次世界大戦後、日本社会は、画期的な農地改革を実現した。

それは、ある意味で、幕末に、二宮尊徳が「仕法」として提起し実行した、独立自営農民の再生であった。

明治維新政府は、尊徳の実績を歴史から抹消して、地租改正による重税政策の復活と、地主主導による小作人制度の復活政策を実行した。この時代逆行ともいえる強引な政策は、富国強兵・殖産興業の遂行のために正当化された。小作人制度は、農村における低い生活水準を固定化し、都市における賃金水準の足を引っ張ったので、国内の消費水準は向上しなかった。

国内市場の「狭さ」は、日本をして、帝国主義的な侵略政策や植民地化政策を結果した。

大正デモクラシーと呼ばれた、一時期を除いて、日本社会は、戦争が絶えず、太平洋戦争につながる、失政の連続が現実となったのである。

戦後の農地改革は、地主の土地を小作人に配分し、独立自営の農民を生み出して、かれらの年収を改善し、技術改善の余地を大きくした。これらは、消費財においても、生産財においても、日本の国内市場を広げた。戦争と軍需に依存しない、平和経済の基盤が構築されたのである。

家電製品をはじめ、戦前には、貴重品であった物資を消費者が買い求め得る時代となった。

ところが、1950年代以後、朝鮮戦争や冷戦体制が進行すると、アメリカ占領軍の方針が「アジア人をアジア人と戦わせる方向」に転換され、再軍備政策や「逆コース」と呼ばれる方向性が生まれてくる。

当時、「日本国憲法体制と、日米安全保障条約体制の矛盾」という言葉に象徴されるように、一方には、憲法に象徴される平和主義・国民生活重視の方向性と、他方では、米軍主導による再軍備政策や太平洋岸ベルト地帯における日米経済一体化の方向性が生み出された。

このとき、日本経済にとって、最も影響が大きかったのは、エネルギー政策における「石油依存経済」への大転換であった。自動車交通の普及とともに、石油エネルギーの波は、たちまち、日本農村におよび、森林資源はエネルギー源としての価値を奪われ、外材の輸入によって、一挙に経済的基盤を失った。さらに、農業用機械の普及と化学肥料化の波が農村を襲う。海外からの食品輸入が急増し、自給率が低下する中で、農村は、安定した、収入源を奪われてしまう。

農村は、相対的に高価なエネルギーを購入しつつ、食料品価格が低下して、仕事の機会がなくなり、さらに、大都市との高等教育格差が発生する。

ようやく、生み出された、独立自営農民は、たちまち、後継者不在の状況となり、農村から大都市への大規模な人口移動が開始された。

1950年代から70年代、高度成長期と言われる中で、日本農村は、過疎化という、深刻な課題に直面する。

他方、大都市を中心に、超過密・地価高騰・大規模公害の発生という、これも、厳しい状況が生み出された。

 

1980年代以降の地方分権と情報技術革命の影響

  1. トフラ-著、『第三の波』は、1980年代以降の、経済的、社会的な大変化を、大量

生産・大量消費・大量廃棄時代から、情報技術の導入による、「多品種少量生産」への移行として把握している。

さらに、かれは、この移行が「第一の波は農業革命」、「第二の波は産業革命」、「第三の波は、農業型の分散的な多品種少量生産革命」であると指摘した。

この提起は、それまでの経済学上の常識を根本から覆すものである。すなわち、それまでは、「大きな企業」「大きな事業がよいことだ」という常識を破って、「小規模でも質の高い企業や事業が発展すること」を認めたのである。

これまでは、「大規模消費地」と「大規模生産基地」に価値があったのに対して、これからは、「消費単位であり、同時に、生産単位でもある、小規模で、分散的な居住地と、それらを結ぶネットワーク」に価値があることになろうか。

このことは、今や、市民も、単なる消費者ではなくて、「生産者であり、同時に、消費者でもあるプロシュ-マ-」となることを意味していた*。

*A.トフラ-著・徳岡孝夫監訳『第三の波』中公文庫、1982年。

日本社会でも、1980年代以降は、地方分権の議論が活発化し、公害問題にも、積極的に応答して、公害防止や環境整備に関する立法化も、多くの市民活動を媒介として、大きな変化が現れた時期である。地方分権の議論は、当然の結果として、地方の経済力や財政力の低下に注目し、地域の「内発的な発展」の研究も進む*。

*宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店、2014年。

市民活動は、公害問題だけでなく、福祉や市民生活全般、とりわけ、医療・看護・介護問題にも及び、農民であって、同時に、芸術家、教師、医師、公務員、商社マン、技術者などの専門職者として、活動する層が増加した*。

*池上惇『学習社会の創造』京大学術出版会、2020年。

そこに、阪神淡路大震災、東日本大震災などの被害が続出し、市民のボランテヴィア活動が大規模に行われた。このような中で、2010年代には、「岩手と京都」を結ぶ、ネットワークが形成されたのである。

この市民活動から生まれた、新たな「経済学の課題」、すなわち、「ケインズ革命を超えるもの」について、今回は、研究してみよう。

(Ikegami,Jun©2021)

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