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総合学術データベース:時評欄(57);池上惇「レジリエンスの時代-ラスキンの共生思想から学ぶ」

ラスキン文化経済学の再評価-その動向を考える-

前回の時評欄で「なぜ、池上惇がラスキン思想に共感したか」についてご説明した。

私は、A.スミス、D.リカードウ、K.マルクス、A.マーシャル、J.M.ケインズなど、古典と呼ばれるものを生み出された経済学者と、彼らの生み出した多くの業績を尊敬している。

これらの古典は、学習・研究の対象として最重要な貢献をしてきたことは間違いがないと思う。

同時に、そうだからと言って、彼らの思想や、経済学説には、時代的な制約や、自然科学の進歩の中で発見された事実を当時の情報制約の中で判断せざるを得ないことも多い。これらの制約の中で、生み出された思想や学説である。彼らの思想や学説には、不十分さがあることも事実であろう。

また、彼らの優れた理論的な貢献が忘れられていることも決して珍しいことではない。例えば、A.スミスの人的能力投資論などは、長らく、無視され、あるいは、誤りであると指摘した経済学者もあるが、アメリカの統計学者によって、固定資産や在庫への投資だけでは説明できない経済発展の要因を発見する中で、人的能力投資の重要性が再発見された。その結果、人的能力への投資論は、A.スミス経済学における貴重な貢献として、1940年代に再評価されている。この領域での「ノーベル経済学賞」も、すでに、実現した*

*G. S. Becker, Human Capital, 2nd ed.,1975. (佐野陽子訳『人的資本』東洋経済新報社、1976年)

しかし、ラスキンの評価は、いまだに、確定し、普及するには、至っていない。

その理由の筆頭は、「ラスキン思想」は、異端であり、「あるべきもの」と、「あるもの」あるいは「存在するもの」を混同している、という説が有力である。

その理由は、端的にいえば、「経済学は科学であって、ロマンや理想を語るものではない」という説が、普及し、それが、説得力を持つからである。

日本の学術界でも、「空想から科学」への経済学発展というテーマが語られ、工場法などの立法にも関わり、現実に世論を動かして、労働時間の短縮や教育制度・公衆衛生制度などの拡充にも貢献した、ロバート・オーエンなども、一括して、空想主義者の中に分類されてしまう。かれらには、空想の部分もあろうが、同時に、現実の法制度を改革した功労者といての側面もある。社会改良という点では、非常に高く評価されるものである。

だが、普及している、オーエンは、実像ではない。

このような問題提起から、ラスキン再評価の新たな展望に立ちいってみよう。

(Ikegami,Jun©2021)

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