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総合学術データベース:時評欄(56);池上惇「レジリエンスの時代-ラスキンの共生思想」
はじめに-なぜ、ラスキンの共生思想に注目したのか-
私は、自分の志を生かすことのできる研究課題として、A.スミスの人的能力への投資論と、J.ラスキンの共生思想論に注目してきた。
今日は、J.ラスキンの共生思想に、なぜ、関心を持つようになったのかをご説明しておきたい。
というのも、超高齢層のお仲間入りをしたせいなのか、最近は、「なぜ、ラスキンなのですか」というご質問をお受けすることが多くなって来たからである。
社会を変革する理論ということになれば、大多数の各位は、K.マルクスの名をあげられる。マルクスではなくて、ラスキンの名を挙げると、首をかしげる方々も決して少なくない。これは、日本だけでなく、国際学会でも、基本的には、同様の反応があった。
おそらく、マルクスは、国際的に通用する、社会変革論の典型であって、崩壊したとはいえ、現実に、ソ連という国が存在したし、現在でも、中国という大国が厳然と存在する。
しかし、ラスキンの方には、そのような例が存在しない。
むしろ、多くの経済学者からは、異端の経済学とみなされていて、正統派ではないと確信されている方々も少なくない。それでも、池上は、ラスキンを引っ込めないので、「なぜですか」ということになってしまうようである。
今回の時評では、このようなご質問に応えようと思う。
これは、超高齢者の社会的な責任であるかもしれないのだから。
自分の人生を振り返って
「なぜ、ラスキンなのか」というとき、彼の、未来社会構想が優れているとか、これからは、彼の社会変革論が主流になるとかの根拠を示すこともできよう。
しかし、今回は、このような方法をとらずに、自分の人生において、最も、共感できる社会変革論を探し求めて各地を歩き、あるいは、古典的な文献を研究して、最後に、ラスキンにたどり着いた、という理由をご説明して、ご勘弁をいただくことにした。
いわば、超高齢者が自分の経験を基礎に、次世代に結果をお伝えするという方法である。あくまで、ご参考にすぎない。興味のある方々には、直接に、ラスキンを研究されるようお願いしたい。
(Ikegami, Jun ©2021)