文化政策・まちづくり大学

お知らせ

総合学術デ-タベ-ス:個人別研究内容(7)小倉信次 先生;地域づくり論文作成支援のための講義計画:内容紹介;池上惇

経営史のご専門家による地域づくりへの広い視野
-明治初期、経営開拓者としての前田正名-

経営の歴史を調査研究する仕事は、非常に、大きな成果につながりやすい。

その理由は、経営の歴を研究すること自体が、歴史学の中では新しい分野であり、さらに、現代社会では「経営」なくしては、政治も経済も、医療も、福祉も成り立たないといってよいほど、あらゆる社会生活の中に、「経営」が深く入り込んでいる。

コロナ禍のなかで、これまでは、繁栄の希望の象徴であった、観光経営が一挙に奈落の底に落とされるなどとは、だれが予想したであろうか。

それだけに、経営の歴史を研究される方々は、研究対象を「真剣勝負の場」として正面から向き合われる方が多い。

小倉信次先生も、経営史のご専門家として、日本の経営史に向き合ってこられた。

そして、先生の目は、「地域における中小企業零細企業の経営」に向き合われている。

ここで、ご紹介する「地域づくり論文作成支援のための講義計画」においても、焦点は、地域の中小零細企業経営の歴史や、歴史を踏まえた現代的な課題へとむけられている。

読者が、地域づくり論文を作成しようとされるとき、どこから、着手すべきか。

これは難題であるし、個々人の学習経験や社会経験によっても違うから、一概には言えない。

ただ、一つのご参考として、「日本における地域の中小企業経営を開拓した人」を、研究してみるというのは、お勧めしたい、研究の課題である。

小倉先生は、最初の講義で、「前田正名」という経営開拓者の名前を挙げておられる。 さらに、この名前が出てくるのは、「各地で自前の中小企業振興条例」が誕生し始めているという、現代的な課題の中で、明治維新後の地域における中小企業研究・公共政策・民間の中小企業経営指南を重視した、前田の名前が挙がっているのである。

以下のように、述べられている。

、「薩摩藩出身の前田正名(まさな)という人がいました。彼は産業政策立案には地域産業の実態調査が重要であることを理解しており、農商務省の『興業意見』全30巻という大変分厚い地域産業の実態資料の編集に携わっていました。 明治の日本では日本各地の「在来産業」、いまでいう地場産業が安い輸入品との競合でどんどんつぶれていました。「地域の在来産業の危機的状況を何とかしなければならない」といったのが官僚だった前田正名でした。山梨県知事になった前田は繭・生糸の生産や甲州葡萄の普及を進め、41歳で農商務次官をやめ、「是」(地域の在来産業の振興計画)を提唱し、全国で国是、県是、郡是の必要性を説いて廻りました。皆さんご存じの「グンゼ」は当時「何鹿(いかるが)郡」、現在の京都府綾部(あやべ)市で行った前田の講演がきっかけで設立された会社で、当時は「郡是製し」(「し」は糸が二つ)という社名で発足しました。」

「1865年(慶応元)、長崎の何礼之(がのりゆき)の語学塾に藩費留学した時、イギリス帰りで薩摩藩外国掛として長崎に赴任してきた五代友厚から大きな影響を受けたと、後年前田は語っています。」

「1881年(明治14)、大蔵省ならびに農商務省の大書記官に就任し、1884年(明治17)には国内産業の実情を調査して、殖産興業のための報告書『興業意見』全三〇巻を編纂します。これは、松方財政による不況下の各産業界の現況と、資本供給、法規整備、地方産業の優先的近代化、政府保護の必要性などの政策をまとめたものです。現在の産業白書の原点ともいうべきもので、経済史研究の基本文献とされています。」

政府高官と対立して民間主導の経営開拓者を生み出す

「しかし、これによって、地方産業の犠牲のうえに軍備を拡張し、政商資本に手厚い保護を加える松方財政グループと対立し、この抗争に敗れた前田は一時非職となります。数年後、山梨県知事として復帰し、農商務省工務局長、東京農林学校長、農商務次官などを歴任するかたわら、全国規模の農事調査を実施しますが、」

「今度は農商務大臣の陸奥宗光と対立し、再び下野します。かつて長崎の語学塾で机を並べ、同門のなかでも特に親しかった二人が、政府高官として対立することになるとは、人生とはまことに不思議なものです。」

これが、町村是(農村計画・地域計画)運動の潮流を生むのですから、地域の自治精神による経営開拓者が日本社会に根付いていることは当然であるといえるでしょう。

もちろんのこと、太平洋戦争中の総動員体制下では、民間力としての経営開拓者は、一時期、兵役に取られて、地域から切り離されました。

しかし、戦後には、農地改革や独占禁止法の新たな枠組みの中で、各地の経営開拓者は復活し、下請け秩序への編入の動きなど、大企業復活体制の中で苦労しながらも、現代にいたるまで、各地の経営開拓者は健在です。地域調査に向かわれるときには、ぜひ、発見の努力をお願いします。かれらこそ、地域における産業情報の核心をつかんでおられ、なにをなすべきかも、深く考えて実践しておられますから。

グンゼの創業者における経営開拓者精神

明治のころ、維新政府の主流派と、これに対立する動きとは、慎重に研究してみますと、明治維新の評価にもかかわる、富国強兵への道と、地域振興・分権化への道を発見できることも多く、歴史学者の通説を覆す可能性もありますので、遣り甲斐があるとも言えます。

また、当時の分権化への道を選んだ方々は、多くの場言、幕末の社会改良家、二宮尊徳に関心を持つ人が多いのです。これは、大変興味のあることで、富国強兵よりも、地域振興のほうが重要性が高いと判断したことがうかがわれます。

二宮尊徳は、当時の幕府や藩の財政力に頼ろうとせず、自分の財産を地域の信託基金として提供し、協力する方々の資金や土地を集め、これを活用して地域の資源を開発し、経営開拓者を育成すれば、農業や中小零細企業などの生産力が向上する。独立自営の市民が生み出され、これによって、日本の経済力は再生できると考えていました。

この力があってこそ、平和を希求し、世界と共生し、侵略に抗しうる市民が誕生するというわけです。富国強兵によって、重税を課し、借金してでも、税金を払わせるなどのことは無謀な策と映ったのでしょう。

これは、当時、士族の反乱として位置づけられた西郷隆盛の考え方と似ていまして、西郷が本当に士族支援者一本鎗の人物であったのか、どうかも、再検討する必要があるのかもしれません。分権化の研究というのは、このような広がりがあって、常識を疑ってみる機会ともなり、面白いものなのです。

小倉先生が、前田の活動の一つとして、京都、綾部の「グンゼ」を挙げておられます。このグンゼの創業者、波多野鶴吉も、尊徳の継承者として有名な人です。

「波多野鶴吉(はたのつるきち)は、何鹿(いかるが)郡(現京都府綾部市)の発展のためには、農家に養蚕を奨励することが「郡是(郡の急務)」であると考えます。そして、蚕糸業振興を目的とする「郡是製糸(現グンゼ)」を設立し、日本を代表する繊維メーカーとして発展するのです。」

日本における経営開拓者の研究は、これから、発展する新領域であり、多くの貴重な成果を生み出しうる分野です。池上惇『学習社会の創造』京大学術出版会、2020年刊行予定を参照されますと、行基、空海を始め、多くの経営開拓者に出会うことができます。

中央集権から地方分権への地域開発政策-その苦悩と矛盾-

小倉信次先生のテキストを読み進むと、戦後、日本の地域開発政策は分権化を目指しながらも、絶えず、中央集権への動きと、綱引きが行われ、一貫した公共政策というよりも、迷いながらの模索を続けていることがわかる。

多くの学者が、実態を調査し、そこから、分権化への提言が出てくるが、公共政策が、それに従うのかと思うと、突然、反対の方向が出てくる。

率直に言って、よくわからない。

この混乱を克服する方向こそ、多くの市民が参加する「日本の中小零細企業研究」であり、このような流れの一つとして、佐々木雅幸先生の「創造都市」「創造農村」のご研究が挙げられている。

コロナ禍で新たな局面を迎えた「地域づくり」研究。各位のご研究に期待したい。

産業イノベーションと起業活動への展望

なお、中小企業研究に関する、世界的な研究動向も、注目に値するので、その一節をご紹介しておきたい。

『調査研究』(2015年3月)には次のように記されている。

「先進国を中心に製造業の世界に新しい潮流が生まれている。2008年のリーマンショックを機に、金融立国とも見られていた米英両国では製造業の捉え方・評価が大きく変化した。特に進化し続けるICT系技術を活用して製造業を新しい視点から捉えなおし、自国の製造業を再復活させて持続的な経済成長を促そうとする動きや製造業の国内回帰を促す動きなどのように製造業重視の機運がたかまってきた。また、従来から製造業重視政策をとってきたドイツでは、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)に着眼した工場のスマート化、工場を取り巻くサプライチェーンのネットワーク化を進め、製造業のさらなる国際競争力強化と新市場の開拓を主導する構想である“Industrie 4.0”を産学官一体で推進している。米国は「Advanced Manufacturing」によって、英国は「High Value Manufacturing」によってそれぞれ製造業重視の政策へ傾注する姿勢を明確にしている。」「GoogleやAmazoneの事例にみられるように、ICT系企業が製造業に参入する動きは、製造業の世界に驚きと衝撃を巻き起こしている。(中略)このような一連の動きは、製造業そのものが大きな転換点を迎えていることを示している。この転換を「新産業革命」「パラダイムシフト」などと呼び、今正に革命的変化が起きていると受け止められている。」(8-9頁)

地方(地域)と大都市部がともに衰退するなかでの、東京一脚集中。

コロナ禍の中での国内産業に対する再評価。産業イノベーションへの胎動。

東京一極集中は「テレワーク」「過密の社会的な損失や社会的費用」などの結果、大きな転機にさしかかり、政府の文書にさえ、「東京一脚集中の是正」が登場するようになった。この、あらたな状況を踏まえた、「地域づくり」研究に期待する。

(©Ikegami, Jun 2020)

お知らせ一覧へ戻る