文化政策・まちづくり大学

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総合学術デ-タベ-ス:個人別研究内容(5)白石智宙 先生;鶴見和子にける内発的発展論の再評価-地域における「人生を自らつくる自由」をめぐって- :内容紹介;池上惇

社会学における内発的発展論の提起と経済学研究者による継承・発展

鶴見和子先生が提起された「内発的発展論」は、戦後、高度成長期における地域開発政策の評価をめぐる研究に大きな影響を与えた。

この研究の中心となって、推進されたのは、宮本憲一教授である。

教授は、この白石論文にも紹介されているが、日本の1960年代から始まる高度成長期において、地域開発政策における典型的な現象、すなわち、「外部から企業を誘致して地域の開発を行うという誤った公共政策」が日本各地で大規模な公害発生の原因となったことを指摘されていた。教授は、回復不可能な生態系の破壊や健康被害が続発したことを自然科学者との共同研究によって解明されたのである。さらに、宮本先生は、以後の公害裁判においても、原告側の証人として研究結果を報告され真実の解明にとって欠くことのできない貴重な貢献を行われた。

研究の結果、示されたのは、当時、エネルギー革命として位置付けられた、石炭から石油への転換や、大規模量産型技術の導入による輸出優先・工業発展戦略は 短期的には、GNPの増大には貢献した。

しかし、長期的にみれば、大規模な社会的な損失や社会的費用の増大によって、地域社会における加害者と被害者への分裂を促進し、誘致賛成派と反対派への分裂を固定化した。本来、地域社会は自治力によって自立するが、世論が分裂すれば自立が難しい。長期的には、中央集権化がすすみ、分権化による地方の自立・自由なイノベーションと産業発展への道は閉ざされる。国際的にみれば、分権化が喫緊の課題であるのに、実態は、逆の方向に進む。

さらに、原因者負担の原則によって、社会的費用の増大を企業が賠償金やコストとしての内部化を通じて、負担せざるを得なくなる。これらは、誘致に応じた企業経営自体をも圧迫した。経済成長そのものが企業の自己破綻を招き寄せたのである。

その上に、大気や水の汚染拡大という大きな犠牲を伴う開発政策は、多くの可能性を持つ地域資源が失われたことを示した。地域資源の中でも、人的能力・自然環境資源への被害は著しく、過疎地と過密地への分裂が固定化し、人口減少や荒廃する地域が急増したのである。他方、大都市の過密化は、自然環境の劣化や社会環境におけるマス・プロ教育や文化・福祉水準の劣化を促進し、「最低限度にして文化的な生活水準」の低下を招いた。

その一方で、公害反対、環境保全に対する住民、市民の活動は、かつてなく高揚し、日本における市民社会の成立と発展が現実のものとなる。東京、大阪、京都など、大都市における革新自治体の誕生は世論を動かし、多くの公害裁判と公害・環境保全関係立法、さらには、土地価格の規制に関する法律の制定などを実現していった*。

*これらの経過は、宮本憲一(2014)『戦後日本公害史論』岩波書店、参照。同書は、学士院賞を受賞された。

このような状況の下で、「外部からの開発」に反対し、「内発的な発展」を希求する世論は研究者を動かして、それまで、民俗学や社会学の領域で注目されてきた「内発的発展論」を、経済学の研究者が正面から解明するという新たな動きが始まる。

宮本憲一教授は、次のように、総括し、内発的発展論を定義された。

「地域の企業・労働組合・協同組合・NPO・住民組織などの団体や個人が自発的な学習により計画をたて、自主的な技術開発をもとにして、地域の環境を保全しつつ資源を合理的に利用し、その文化に根差した経済発展をしながら、地方自治体の手で住民福祉を向上させていくような地域開発。」*
*宮本憲一(1989)『環境経済学』岩波書店、参照。

続いて宮本先生は、内発的発展の原則として次の4点を指摘された。

第1の原則は、「地域開発が大企業や政府の事業としてではなく、地元の技術・産業・文化を土台にして、地域内の市場を主な対象として地域の住民が学習し経営するものであること。」

第2の原則は、「環境保全の枠の中で開発を考え、自然の保全や美しい町並みをつくるというアメニティを中心の目的とし、福祉や文化が向上するというような総合され、なによりも地元住民の人権の確立をもとめる総合目的をもっているということ。」である。

第3の原則は、「産業開発を特定業種に限定せず複雑な産業部門にわたるようにして、付加価値があらゆる段階で地元に帰属するような地域産業連関をはかること。」である。

第4の原則は、「住民参加の制度をつくり、自治体が住民の意を体して、その計画にのるように資本や土地利用を規制しうる自治権をもつこと。」である。その上で、外来の資本や技術について、「地域の企業・労働組合・協同組合などの組織・個人・自治体を主体とし、その自主的な決定と努力の上であれば、先進地域の資本や技術を補完的に導入することを拒否するものではない」(同上、参照)。

白石智宙先生は、以上のような、宮本教授の研究成果を基礎に、「その地域に住む市民の人生における自由な選択」について、研究を深めようとされている。

白石・内発的発展論の独自性

この研究は、宮本教授の4原則が定着するには、自由な選択の結果として、地元に定住する市民が増加し、その増加傾向が持続する必要があるからである。

このような課題は、過疎地の調査を行うと判明するのであるが、例えば、篤農家が多く、農業後継者がでてきても不思議はない地域においても、実際には、後継者が不在で農地が荒廃するなどのことが発生する。市民が自立して職業選択が自由な時代であるから、大都市において収入の多い仕事があり、農村地域では後継者となっても収入が不足するのであれば、大都市への移住が避けがたい。経済的な理由だけでなく、いきがいとしても、地元の営農や商工業、サービス業に魅力がなければ、地元に残る人材は、残りたくても残れない。

白石先生は、地域の調査をされたご経験から、過疎を克服するには、「個人としての自由な選択の対象となる地域をつくる」「個人が希望をもって活動しうる地域をつくる」という課題を深く研究すること。ここに注目されたのである。

鶴見和子の内発的発展論における個人の選択問題

「鶴見和子の内発的発展論における個人の観点を、内発的な発展を可能とする地域の経済と結びつけて捉え直し、その関係を内発的に発展する地域における経済と個人との互恵関係として提起すること。」

「鶴見の内発的発展論における個人の観点を、地域の経済との関係から捉え直すことで、鶴見の内発的発展論を再評価するための考察」を試みられた。これは、近年の内発的発展論に不足していると考えられる新たな課題であり、「地域の内発的発展において個人の果たす積極的な役割を、地域の経済との関係から位置づけ直す試みの一環」であった。

白石先生によれば、「地域の新たな担い手のためには、新たな所得獲得のための地域の産業が必要であると同時に、地域が内発的な発展を目指すには、そのために新たに創造する産業の担い手が必要である。」

「加えて、地域の産業創造を含めた、内発的発展へ向けた地域の取り組み自体が、それに関わる個人の“生のあり方”との関わりを通して、地域の新たな担い手の確保に繋がり得ると考えられる。これが、地域の経済と個人との関係について考える理由である。」

これらは、白石論文の1節である。

ここでは、「地域の残る」ということは、実は、地域における産業イノベーションの担い手を生み出しうる地域づくりが、その地に存在するのかどうか。という重要な課題へのへの接近と、それへの展望が語られている。

この課題は、地域を調査してみると、まさに、最重要な課題であって、わたくしの経験では、岩手の遠野市における遠野緑峰高校の生徒たちが、地元農家の支援で、廃棄物であるホップの繊維から和紙を製造する技術を開発したり、伝統野菜、早池峰菜の再生に貢献し、漬物として商品化したりなど、貴重な貢献が行われていた。このような人材教育の場があれば、地元に残る方々が増加するに違いない。

また、遠野市には、地域ごとに、伝統文化「ししおどり」の学習機会が中学生からあり、伝統文化に創意工夫を加えてさらに高めようとする動きもあった。

さらに、山ぶどうのつるから現代に通用するデザインのバッグをうみだす職人技も遠野にはある。このようなシーズがれば、大阪の伝統工芸を発掘してデザイン化する方のご指導で、市場に通用するものを生み出す力量が生まれてくる。これも、大事なイノベーションである。

伝統文化には、ししおどりのように、地元の方々の意識を、地元志向に向けるものや、地域社会の人間関係を「結い」の伝統によって、深めるもの、伝統の技や技術・技能に関わるものなどがある。これらは、伝統文化の、現代における創造的な発展や、地元の資源を生かしたデザイン・技術開発、野菜の品種開発など、多くの創造活動に関連する。これらは、「伝統文化を今に生かす」と表現できよう。

鶴見和子先生は、伝統文化を今に生かし、創造的に発展させる力量を持つ、ひとびとを、キー・パースンたる「小さき地域の民」と名付け、そこで、実現される社会の姿と、人々の生活スタイルとが相まってこそ、内発的発展が実現すると考えられたのである*。
*鶴見和子(1980)「国際関係と近代化・発展論」川田侃・三輪公忠(1980)『現代国際関係論-新しい国際秩序を求めて』東京大学出版会。

さらに、鶴見和子先生は、伝統を「ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承された型」*と定義し、「とくに特定の集団の伝統の中に体現される集団的な知恵の蓄積を強調する」ものであるとした上で、変化し続ける社会環境に対する地域の内からの対応としての“伝統の再創造”が、この「小さき地域の民」によって担われていくと考えられた。
*鶴見和子先生は、伝統を「意識構造の型」「社会関係の型」「技術の型」の3つに分類し、各々の再創造について考察されている。鶴見和子(1989)「内発的発展論の系譜」鶴見和子・川田侃 編(1989)『内発的発展論』東京大学出版、参照。

固有価値をめぐって

有難いことであるが、白石先生は、池上惇の「固有価値論」についても、言及していただいているので、ここでは、一言だけ、コメントしておきたい。

「固有価値=intrinsic value」という概念は、J.ラスキンが提起した。それまで、経済学における価値論といえば、労働価値論とか、効用価値論などが主流であったが、かれは、敢えて、自然から生まれる固有価値、人間が創造する固有価値という新たな概念を提起して、経済学の創造的な発展に貢献した。

この概念の特徴は、酸素が人を生かすように、自然そのもの中に、創造的ともいえる潜在力があり、人間の健全な肺機能が、その成果を享受しうると考える。

また、人間が自然との関係において、生命と生活を営む存在であり、生命・生活活動は、自然や他の人間から学習して発達し、創造的な成果を生み出す潜在力を持っていると考える。

彼が活動した19世紀の後半では、これは、とんでもない、ロマン主義であり、科学ではないと、ジャーナリズムや学術界から総反発を受けた。経済学者の中でも、評判が悪く、なかでも、有名なシュムペーターなどから厳しく批判されている。

しかし、わたくしは、そうは思わなかった。現に、最近の都市論では「創造都市」などという、かつてなら、空想ではないかといわれそうな概念が国際会議で堂々と議論されている。すべての人々に創造の機会があるなどといっても、起業活動が普遍化し、だれもが人生の中で、起業を考える時代ならば、次第に当たり前になってゆくのではないか。さらに、芸術的な表現における創造性やデザインにおける創造性などが、多くの市民の共通の関心事となり、享受能力から、創造能力へと発展する機会も増えると予想される。

そのように考えたのである。

とりわけ、日本社会では、空海が仮名文字を開発し、行基が知識「結=ゆい」として、あらゆる民衆に、公共活動への参加を実行した伝統がある。塾や寺子屋伝統さえある。勝負事でも、個性を生かしあって、たがいの、創造性を競うというのも、日本社会の学習伝統ではないか。

そのように考えても自然ではないかと、思ったのである。

さらに、ラスキンは、人の創造性を評価しようとすれば、創造性を「享受する能力」が必要であると指摘した。これは、学習や教育が普遍的な価値として、社会のなかで、受け入れられることを意味する。

現代社会は、まさに、このような社会ではないか。

わたくしは「生涯学習・研究」に強い関心を持っていたので、このように考えた。ラスキンは、(Ruskin[1872])価値を「生命の維持のための力または役だち」と定義し、価値は固有価値と有効価値とから成ると考え、固有価値は享受能力と出会うことによって有効価値となると考えている。以上、ご参考までに。(©Ikegami, Jun 2020)

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