文化政策・まちづくり大学

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池上・総合学術データベース:時評欄(19);翻訳文化のなかで考える 2019年10月12日

生涯学習と語学

生涯学習を目指される方々と、ともに、研究をしていると、語学、例えば、英語学習について、全く、正反対の姿勢があって、ときどき、戸惑うことがある。

一方には、学生時代、アメリカで勉強することが必要だと考えられて、語学が堪能。翻訳も、おそれることなく、取り組んでいただける。わたくしども、教師にとっては、大変、有難いことである。

他方で、語学など、社会人になってから、契約文書以外は見たことがない。いまさら、英文や独文を読むのは億劫であり、勘弁してもらいたい。という方々も少なくない。教師としては、当然ではないかと思うし、「必要になったら一緒に学習しましょう」という態度で臨める。教師にとっても、多様な語学に対応するのは苦労が必要だから、ついつい、甘えてしまう。

ところが、最近、そう呑気に構えてもいられなくなった。

生涯学習を目指されている方々の中に、ウイリアム・モリスの研究を志して、修士号も取得され、オックスフォードの図書館まで出向き、未翻訳のモリス著作を見つけて翻訳をするという方があらわれたのである。モリスの文章は、かなりの部分が講演記録である。これは、むずかしい。

教師も、ねじり鉢巻きで応答しないと、ついてゆけるものではない。

ここで、改めて、翻訳文化論を見直し、学習人の共通資産とする必要が出てきた。

今日は、過去の書評をご紹介して、学習の一助としたい。(Jun Ikegami©2019)

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