文化政策・まちづくり大学

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時評欄(14)への応答;市民大学院 綾野浩司「『地域を訪れること』あるいは『芸術を創造し、ともに享受すること』の意味について ―時評欄(14) 池上惇「コミュニティ観光の発展を願う」2019年5月20日への応答―」

2019.7.14
市民大学院
綾野 浩司

当データベースの時評欄をいつも楽しみに読ませて頂いております。

「文章を読むこと」は、ワクワクして本当に楽しいことですが、読んで感動したことや疑問に

思ったことを、書き手に対する「返事(あるいは応答)」として書いてみる。そして、その「返事」

に対する、さらに「返事」を待ちたくなる衝動に駆られることがあります。

若いころ、「密やかに」、ある人に手紙を書いたとき、その返事がどれほど待ち遠しかったこと

か。そのような体験は、もしかしたら、ほとんどすべての人に共通するものではないでしょうか。

(このことも、筆者である私が、知りたいことの一つです。)

 

池上惇先生は、上記時評を通じて、「外国人観光客が著しく増加して、京都市民が、バスやタク

シーの交通混雑に巻き込まれるだとか、今まで普通に買ったり食べたりできていたお店に長蛇の

列ができて不便さを感じる。」といった、主に観光客を受け入れる市民の側からの声を起点に、「本

当に、そうだろうか」、そして、「私たちがどのように考えていけば、これから生きていく上でプ

ラスの価値に転化できるだろうか。」という風に、お話を展開しておられます。

私は、逆に、地域を訪れる側(=通常は、訪問客や観光客と呼ばれる)から、池上先生の書か

れたことへの「返事」を書いてみたいと思いました。その動機は、今までに述べてきた通りです。

 

そして、私がこの文章を書こうと思ったきっかけには、今ひとつの出来ごとが関係しています。

先日、昔から撮りためた、多くのDVD(ビデオ)の整理していた際、偶然にも、次のようなタ

イトルのDVDを見つけ、再生してみた時の感動です。

それは、「2003年 BSベスト・オブ・ハイビジョン・スペシャル」というNHK製作のシリーズで、

「小澤征爾  終わりなき道  -無垢なる共感を求めてー」

と題されていました。

クラシック音楽を普段あまり聴かれない方でも、小澤征爾先生(私は、一面識もありませんが、

ここでは、そのように呼ばせて頂きます。その意味合いについては、[※1]をご参照ください。)

のお名前や、その指揮される姿をどこかでご覧になられたことはあると思います。

 

この映像の中で、2003年当時、日本人ではじめて、クラシック音楽の聖地、ウィーン歌劇場の

音楽監督に就任した小澤征爾先生が、これまで、アメリカのタングルウッドやスイスのルチェル

ン、日本の奥志賀高原などで、世界中のたくさんの若い音楽家たちと一緒に音楽を創ってきたこ

とが示されます。

なぜ、世界一流のオーケストラや合唱団と演奏することが常に可能な小澤征爾先生が、このよ

うな若い音楽家たちと「共に音楽を創造する」ことに夢中になられるのか。そのことが、映像の

中から強烈に伝わってきます。

そして、映像では、(残念ながら既に世を去られましたが、)同じく世界的なチェリストである

ロストロボーヴィッチに誘われて、「キャラバン」と銘打ち、若い音楽家たちを引き連れて、日本

各地に演奏の場を創っていく試みが映し出されます。

岩手県浄法寺町の川又小学校、梅田川分校の体育館、湯田町の公民館、さらには同じく岩手県

花巻市清水寺や秋田県横手市正傳寺の本堂で、その地域のおじいさんやおばあさんをはじめ、多

くの大人たちや子供たちを集めて、本当に「普段着のままの」演奏会を開く映像には、心からの

感動が湧きあがります。(綾野浩司・©Ayano Kohji 2019)

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