文化政策・まちづくり大学

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時評欄(14)池上惇「コミュニティ観光の発展を願う」(2019年5月20日)

観光公害の増加を、どうするのか

 最近、「観光のコミュニティ・アプローチ」が大きな関心を集めています。

その理由の一つは、最近において海外からの観光客が急増し、京都のような「観光の本場」では、京都市民が生活の足である「公共交通・バス、地下鉄、私鉄が満員で家に帰れない」という苦情が市民から出始めているからです。また、海外からの観光客が公共交通機関に持ち込まれる「大きな荷物」も、市民やタクシ-運転手にとっては、苦痛の種となっています。市民が大きな荷物にさえぎられて歩けないとか、タクシ-運転手が大型の荷物の上げ下ろしで、腰を痛めるなどのことが起こっているのです。

研究者の間でも、「反観光学」などの刺激的なタイトルの本が登場してきました。

このようなことが、なぜ、おこるのか。

各地でも、同じようなことがありまして、観光客が殺到して、道路が混雑し、市民生活に支障がでる事。人気のある食堂などに、観光客が列を作り、地元の市民は、近づけなくなること。「観光プライス」などの表現で、観光地の物価が上がり、生活に影響ができること。などなど。批判は尽きません。観光客のモラルなども、よいこともあれば、悪いこともあり、眉をしかめる方々も出てくることがあります。

ここで、市民は、これまで、あまり、考えたことのない、「日常の生活」について、振り返る機会を持つことになります。そして、自分たちに住んできた、地域コミュニティ、普段は、無関心で暮らしてきた、「空気のような」場に注目せざるを得なくなります。

そして、観光客の増加によって、「失われた地域コミュニティ」のよさは何であったのか。改めて考えさせられることになったのです。

 

観光公害は、地元の「よさ」を知る機会であった

例えば、普通に、バスや電車に乗れて、混雑も少なく、正確に運航していて、通勤や、買い物にも不便がなかったこと。それがいかに大事なことであったのか。車が混雑なく道を走ることができたこと。これも、いかに、大事なことであったのか。

地元の食文化にふれて、おいしいものが普通にいただけたのに、地元の食材が観光客の消費や域外に行ってしまって、地元市民が「地元の良いもの」を食べられなくなる。これも、困ったものです。地元の食文化の有難さを実感することになります。

地元の市民は、これらのことが理解できるようになります。

では、これらのことを従来通り維持しながら、環境客の増加に、市民は、どのように向き合えばよいのでしょうか。

 

観光公害に対処する二つの道

普通に考えますと、その道は、二つあるように思えます。

一つは、観光客が増えすぎないように、規制をかけて、ホテル、旅館、民宿、民泊などの宿泊者数の範囲内に旅行客を制限し、日帰りで、バス旅行を試みる方々には、駐車場の利用台数に制限をかけて、「満車」となれば、訪問をお断りすることになります。地域内にお入りになる車には、高い駐車料を課して、価格面から、地域への来訪を制限することもできます。

もう一つの道は、海外からの観光客をはじめ、多くの方々をお迎えしたとしても、市民生活の不便が及ばないように、地域コミュニティの市民生活を守りつつ、宿泊施設を増やし、バスや電車の本数を増やし、駐車場を広げて、地域内観光は、徒歩や自転車を中心とするようにすることです。

この二つの道は、いずれも、地域コミュニティにおける市民生活の維持を最優先にして、観光客には、多少、ご不便をおかけし、あるいは、徒歩や自転車での観光をお願いするにしても、地元の生活を揺るがすことだけはやめよう。それは、いわば、本末転倒ではないか。ということになります。

 

第三の道。異なる文化を学習する機会としての観光

確かに、もっともなことではあるのですが、観光客を、単なる訪問者としてみるだけで、良いのでしょうか。もしも、観光客が、単なる「見る、知る、食べる」だけの人ではなく、地域の市民の友人となり、遠方から、よき文化をもたらしてくれて、地元の文化からも、学んでくれる人となってくれるのであれば、どうなるのでしょうか。

これは、観光というものを、「単なる物見遊山」的な、便利で楽しい旅を楽しむだけでなくて、文化交流の場として位置付けることにもつながります。

住む場所が違う人々が、互いに、違う文化を交流しあい、学習しあい、育ちあえるならば、観光は、地域の発展にとっても、かけがえのない場になるかもしれません。そこには、人と人との交流があり、学習の機会としての観光の場が出現します。

子供たちも、人とのコミュニケーションを楽しむ機会ができて、教育の上でも、有益でしょうね。最近は、「自分の頭で考え行動する教育の場」が求められていますから、観光こそは、まさに、その場にふさわしいものとなります。

このような視点から、観光を見直し、立て直すことができれば、地元市民の不満も解消し、訪問客の満足度も高まるのではないでしょうか(この課題を「学習観光論」として展開された著作は、若村亮「学習観光論」国際文化政策研究教育学会『国際文化政策』第8号、2017年9月参照)。

この点を、今日は考えることにしましょう。

そして、この機会に、これまでの、地域コミュニティの便利さや快適さや、住み心地のよさが向上したとすれば、観光での問題の発生は、これらの「よさ」が生み出された原因をも、改めて、考える機会を持つことになります。

(池上惇・©Jun Ikegami 2019)

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